琥珀色などとさも美しく形容しては、その酒の素晴らしさは伝わらない。グラスの7分目まで注がれたそれに、炭酸の小瓶をめいいっぱい注ぐ。口をつけると、まずは甲類焼酎のおもいっきり安いやつ、あの苦みが一瞬だけ鼻を突くが、黄色の素に配合された、別種の苦みがそれを上書きしてくれる。浮かべられたレモンスライスが爽やかな後味を生み、口腔内の脂を洗い流す。これこそ、船橋の酒飲みにとっての超メジャー、船橋加賀屋本店が誇った特製ハイボールである。
私はこのハイボールが好きだった。なんといっても、1杯240円だ。どう考えてもまともな焼酎など使っておらず、それが滅法濃いものだから恐ろしく響く酔い方をする。だが、この店の美味いモツ焼きや煮込みにはこの味でなくてはならない。友人知人と船橋で飲もうというときには、私はいつも加賀屋へ向かった。最初の1杯目はラガーの中瓶、スタミナ焼きと煮込みにコーンバターなど定番のつまみを並べたあと、「ボール」を頼む。そして、それはなんだと聞く彼らに、船橋ではこいつが最高なんだと誇ってみせたものだった。
ところが、そんな加賀屋のハイボールが変わってしまうという話が出た。あれよという間に、店内にも「炭酸付きハイボール」終了のお知らせが貼られる。それまでは野中食品工業「DRINK Nippon」ブランドの炭酸で客が各自割っていたものを、店側で予め調製して出すことにしたという。それはかまわないのだが、その際焼酎と黄色の素の割合を大幅に減らし、ごく薄めで提供されるようになり味わいがまったく変わってしまった。飲みやすさはこちらの方が上であるし、焼酎も改善されたのか悪酔いすることもない。目潰しハイボールの悪名は返上だ。だが、あの強烈なパンチと魅力が失われてしまったことは、あまりに残念なことだった。
それから暫くして、本八幡にあのハイボールを飲ませる店が出来たという。その店の店主は船橋加賀屋で働いていた方で、店名は百花繚乱というらしい。駅近くの、巨大な日高屋が1階にあるビルの地下、広々とした店内で、私は数ヶ月ぶりに「繚乱ハイボール」と名を変えたあの酒をいただいた。刺身も旨く、ラムを串焼きにしたようなのも気に入った――このハイボールは、癖のある脂によく合う――。それからはなるべく通うようにしたが、元はゲームセンターだったという店内はいつも空いていた。船橋時代の客は細々と流れてはいたようだが、太い潮流にはほど遠い。「安くてしっかり酔える店」という看板に偽りはなかったのだが、本八幡は北口が飲み食いのメインストリートで、南側はそれほどでもないこともあったのかもしれない。
6月、久々に百花繚乱に顔を出した。テーブル席は3つ4つ埋まっていたが、盛況とはとうてい……。カウンター席には、私のほかに先客が1人いた。船橋加賀屋の客だったらしく、なにやら店主と話している。「船橋はね、つまらなくなっちゃったよ。こっちの方が落ち着くね」店主は答えた。「でも、皆さんなんだかんだで気になって行っているんじゃないですか」インターネット上のクチコミサイトに、百花繚乱の閉店情報が更新されたことに気付いたのは、それから1週間ほど経ってからのこと。記載された閉店の日付は、私が最後に行ったあの日の翌日だった。
元の従業員が、古巣の商品をそのまま持ち込んで向こうで商売を張ろうというのだから、なにか確執のようなものがあっただろうことは想像に難くない。とはいえ、あの強烈に酔えるハイボールより軽い酒が時代の主流なのは仕方がないことであり、理屈の上では私も理解できる話である。変わらない価値を愛する者、変えていくことを求める者、それぞれの立場があるだろうが、店主の言葉はなにを思ってのものだったのか。
ともあれ、あれだけ愛されたハイボールを、飲ませようという人はもういなくなってしまった。あれを飲みたいという者も、これからは減っていくだけである。
野中食品工業は小岩の会社。瓶は返却する。(2016.10.28)
繚乱ハイボール(2017.6.14)
百花繚乱のメニューは、船橋加賀屋と共通のものが多かった。このスタミナ焼きもそのひとつだが、味わいはこちらはよりニンニクが強め。(2017.6.14)
アジの刺身。たしか500円だったはず。(2017.2.9)
閉店後に撮影。(2017.7.6)