「この『自力で頑張る』ってコメント、これだけ?ウケるわ、どういう意味だよ」
競輪場は初めての、職場の先輩がわたしの専門紙をのぞき込んで笑う。さて、競輪を楽しんでもらえるかどうかは、ここの導入が肝心だ。
「競輪はやったことがなくても、『ライン』があるというくらいは聞いたことがあるでしょう」
「ああ、レース中、友人関係で助けあったりするんだろ」
「そういうこともないとはいいませんが、そうでないことの方がずっと多いですね。師弟関係は一段重く扱われますが。現代競輪のラインは、地域別のチーム戦なんですよ」
「地域なぁ。そういや地元の知り合いの父親に門司競輪場で競輪選手やっていたのがいたが、じゃあそういう選手は門司や小倉同士で組んでたってことかい」
そう、この人は門司亡きあともメディアドームを擁する北九州市出身――以後、便宜上仮名を小倉氏と称する――である。だがもっぱら馬の方が専門であり、競馬専門紙の調教師や助手の充実したコメント欄に慣れていると、たしかに競輪新聞のコメントは異質だろう。
「同じ練習地ならまず間違いないです、ほら新聞のここに練習場所が書いてあるでしょう。でも、そう都合よくいっしょに乗れることは少ないので、ほかの武雄や佐世保、別府、熊本といった九州地区所属の選手で一体となって戦います。九州だけで戦力が不足していれば、隣接する中国・四国地区の選手とも話をつけて組みますね。東日本の競輪場への遠征だと、広く関西圏まで入れた『西日本ライン』なんてこともあります」
「ラインをどう組むのはわかった。だが、そもそもなんでそこまでしてラインが必要なんだよ」
そう、それが大事なところだ。ノーガキを続けようとすると、後ろから本日もう一人の同行者が戻ってきた。車券を買いにいったはずだが、それとは別に白い発泡スチロールの皿に、茶色い串を載せている。
「エサ、調達してきました」
ピンポン玉大のタコ入り練り物のおでんと、牛筋串である。佐賀県・長崎県は畜産も水産業も豊かな県だから、こういうちょっとしたものの美味しさがありがたい。とくに練り物などは、関東で同じ値段で似たようなものを買おうと思えば、澱粉の混ぜ物ばかりの品しか出てこないだろう。そのまま、今度はこちらが説明を始める。
「ラインの話ですか、あれは空気抵抗のせいです。つまり、自分で風をかき分けて進むよりも、その後ろでついていった方がずっと楽だから。なんで、そういう選手を自力と呼んで、ケツにまさに他力の選手がつく。これがラインになります」
これを聞いた小倉氏は、憮然とした表情である。
「じゃあ、自力の選手は自分ばっかりくたびれて損じゃないか」
「そうでもないです。後ろの選手は後ろの選手で、ほかの自力選手が攻めてきたらラインを守る。そのままやられちゃ自分も終わりだから」
私もここで理屈をひとつ。
「単純な距離の話として、後ろの敵がライン分二車進まないと自分に届かないのと、自分のすぐ後ろがもう敵という状況なら、自力選手からすれば前者の方がぜったい心理的に有利です」
「ふーん、それでチーム戦なのか。ラインと聞くと、なんか八百長みたいなイメージしかなかったが」
小倉氏は、一応納得してくれたようだった。現代競輪の「ライン」は、競輪戦後60年の歴史の中で進化してきたしごく合理的なものだ。きちんと説明すれば、拒絶反応を起こす可能性はだいぶ減らすことができる。
「他人の後ろにつくマーク屋は、前の選手の動き次第なところがありますから。競走得点、あ、選手の格を表す数字ですね、これが高くても絶対視は禁物。競輪の予想は、各ラインの自力選手同士の比較から入るのが基本です」
「なるほどなるほど」
よし、だいぶ理解が進んできた。
「ただ、決勝戦のような場合は、後ろの選手を引っ張るだけ引っ張って自分の勝負は度外視、という競走を狙う選手もいます。昨年も、特別競輪、競馬でいうGⅠですね、この決勝で近畿地区の選手がこれをやりましてね。番手の選手が優勝、先行した選手は最下位でしたが、こちらの選手も胴上げされてましたよ」
「親王牌の脇本と稲垣だろ、ひどかったよな。でもまあ、客もそれをわかって買っているところあるから。あそこで脇本が駆けなかったら、それはそれでレース後はドーム中から野次ですよ」
と、神奈川出身も大学が群馬だった先輩氏――以後、仮名を群馬氏と称する――が、前橋のネタに乗ってくる。こちらは学生時代に旧高崎競馬場跡地の場外馬券売り場に入り浸り、そのまま前橋で競輪も嗜むに至ったというツワモノだ。が
「…………やっぱりそんなん八百長じゃんか!そんなんでいいの?」
小倉氏は、振出しに戻ってわけがわからないという顔。しまった、これは余計な話だったな。
真夏の暑い時分というに、職場の男3人ばかりで九州を旅行した。どうせなら妙な移動をしてみたいと――オタクにこういうのを一任するとろくなことにならない――、出入りは長崎空港を選択。そのまま島原半島の海岸線を走り、フェリーで熊本へ。そこから佐賀を抜けがけ武雄競輪を冷やかして、ぐるっと回って開催中の大村競艇場至近の長崎空港へ戻ってくる、という旅程である。なお、私も群馬氏もペーパーだったから、運転は最年長も九州出身で土地勘がある小倉氏にお任せ。家族には「仕事で出張だから」と騙り出てきた群馬氏は職場と同じ白のワイシャツに黒パンツという格好で、
「すいません、運転任せちゃったところ申し訳ないんですが」
と謝ってから、空港から早々にストロングゼロを「カマして」いた。お許しがでたので、私も一本、また一本と。せっかくの旅行だからね。
初日は熊本を回り、宿は佐賀の古湯温泉の民宿へ。ぬる湯で知られるこの温泉地は、佐賀県でもだいぶ内陸に入ったところにある。谷筋の国道を進んでいると、道端にふたつみっつ固まった自動販売機の一群を見て群馬氏が話題を振る。
「そう、最近エロ自販機についての本を読んでね、いやあれは奥深い世界ですよ。北関東なんかだと、まさしくこういう山の道筋にあったりするんです」
ハンドルを握る小倉氏もこの話題については
「エロ自販機、そういや小倉競馬場の裏にあったな。滞在競馬の関係者とかが買ってんかなあれ」
とご当地ネタを提供。
「買う人がいるから補充されて商売になっているんでしょうけど、全国の隅々まで配本網があるってのはすごい話ですねぇ」
「そうなんだよ!なんでも元締めの業者がいるらしくて、インタビューが載ってたんだがこれがな」
と、その時、カーブの先にまた野ざらしの自動販売機群が見え、すれ違った。
「どうだった?」
思わず聞くと、権威となった群馬氏は至極残念そうに
「あー、あれはエロ自販機じゃなかったですね」
とまあ、たいへんアタマの悪そうな会話をしつつ、翌朝には武雄競輪場までやってきた。前述のとおり小倉氏は競輪初体験なので、勢い会話はそのレクチャーということになる。だいたい、ただでさえ運転をお願いしているのだから、ここは群馬氏と二人できちんともてなさなければならない。
2レース、逃げる久冨武(A級3班、岡山79期)が押し切るも、番手の小野祐作(A級3班、岡山72期)は脚が回らず。三番手を取りにった関博之(A級3班、長崎82期)が、直線交わして2着だった。
「最後の直線で先頭を回ってきた、自力選手のすぐ後ろの位置を『ハコ』と呼びます。自分は基本的に脚を温存できていて、かつ前の自力選手はそこまでで少なからず消耗していますから、古来より競輪でもっとも有利な位置とされてきました。そして、今のように番手で回ってきたのに、差し損ねるだけでなく後ろの選手からも交わされるのが『ハコサン』です。出渋り、外道競りと並び、競輪爺様方が忌み嫌うものですね」
「でも、今日の暑さじゃ外で観ている客はほとんどいないから、野次がなくてよかったな。ひどいところはひどいから」
そういえば、群馬氏とは松戸競輪場のヤジの煩さについて語り合ったこともあったな。
「たしかに今日外で観るのはないわ。しかし、競輪場もきれいなもんなんだね」
そう、近年改装された武雄競輪場のスタンドは、平屋建てのコンパクトなもの。内装もシンプルだが、座席数はかなり多い。数千の客を捌くよりも、常連の数百人が空調の効いた室内から観戦がしやすいように、という設計がうかがえる。我々も、コース側前面ガラス張りの快適な机付き座席に陣取っている。一部の競馬場や競輪場に慣れていると、これが無料席というのに驚くだろう。
「表にもロゴが出てましたけど、民間投票業者のオッズパークが噛んでるんですよここ。場内整備もだいぶ意見を出したのではないかな」
「へえ、いろいろとあるもんだ」
さて、今日はヒラ開催の二日目なので、次の3レースからはチャレンジの準決勝である。メンバーを眺めると
「お、4レースに玉村元気がいますね」
「なにそいつ、強いの?」
「どちらかといえば面白枠ですね。まあ、見ればわかります」
「しかし、よく選手の名前知っているな」
「競輪選手は全国を飛び回ってますからね、関東の競輪場で何度か走ればなんとなくわかってきますよ」
果たして4レースの発走台、ファンファーレの流れる中、自転車にまたがった玉村元気(A級3班、福井101期)はいつもどおり両手をぐっと握りしめると、そのまま左手を右に、捻じった体をぐっと戻して、右手を左上に高く掲げる。そこからまた大きく身体を動かして手は͡弧を描き、最後にまた胸前で両手を握ってから、手をハンドルの上に置いた。
「……なにあれ」
ほかの選手も多少のストレッチくらいはするけれども、明らかに一人異質な動きに小倉氏も困惑している。
「なんか、仮面ライダーの動きらしいですよ。玉村のルーチンワークです」
「あいつも、弱いなりにいろいろと考えてるんですよきっと」
と、面白がるというよりは引き気味の反応だったので、群馬氏ともども玉村を擁護する。
ところが、ここでは玉村元気は道中後ろから追走。最終バック前で捲りに打って出ると、新人の山口龍也(A級3班、長崎111期)を交わして見事1着である。決勝戦進出がよほどうれしかったのか、チャレンジ戦というに入線後ガッツポーズまで決めていた。小倉氏は妙なギャップがツボに入ったのか
「ちょっと、玉村勝っちゃったじゃん!うわすげえな玉村」
とウケていた。よくやってくれた玉村、ありがとう。そして小倉氏が
「で、次はどういうレースになるの」
と聞く。このチャレンジの準決勝最後の5レース、ここは私と群馬氏どちらも一致した見立てだろう。
「山崎賢人のアタマは間違いないです」
「ここ優勝したら2班に特昇だろ?ほかの選手だって、いつまでもチャレンジにいられちゃたまらないんよ」
「そんなに強いのかい」
ここは、競輪の格付けの原理から説明すべきだろう。
「競輪選手ってのは7月に新人がデビューするんですが、これはどんな新人もみなこの最下級のチャレンジ戦からのスタートになります。そしてスポーツ選手ですから、若い新人の中には本来即上のクラスで戦える選手が混じっていることもあるんですよ」
群馬氏も
「最近だと、107期の吉田拓矢や新山響平はデビューから1年そこそこで、特別競輪出場まで駆け上がってるな」
と補足してくれる。
「で、この山崎賢人は間違いなく1年後には一線級を戦っている器です。格が違います」
「そうか、じゃあ車券はヒモ探しってことか」
「後ろの茅野寛史が千切れるかどうか、が鍵です」
ここまでいって、山崎がヘコんだらどうしようか。だが、さすがにここは逆らえない。車券的には、あまりに買うところがないオッズであるが。
それぞれ車券を買って、競走が始まる。小倉氏も今回は山崎から買ったようだ。青板周回、同じく新人の今岡徹二(A級3班、広島111期)が誘導員を使って山崎をインに閉じ込める。そのまま並走していったが、ジャンで今岡が外から突っ張る構えを見せると、山崎はすんなり車を下げた。打鐘中をたっぷり流した後、今岡はホームから踏み出していく。小倉氏が呟く。
「おいおい、まずいじゃんこれこのままじゃないの」
群馬氏は
「大丈夫ですよ、まだ捲れます」
と泰然としている。まあそうだろうと私も思う。
そして2コーナーから山崎賢人が捲りを打つ。スピードが違う、さて問題は番手の茅野だが……あー、千切れない。
「ああ、ついてっちゃった」
「よーしよーし、いけいけいいぞ」
私と群馬氏はひねくれているので筋違いから流したが、小倉氏はラインで持っているようだ。山崎は3コーナーでは先頭に出ると、そのまま後続を突き放して1着入線。捲りに乗った茅野が2着、8車身離れた3着には今岡につけていた大森績(A級3班、愛媛59期)が入った。
「これ当たったっしょ、いくらつける?」
小倉氏は的中したようだ。車券を見ると、3連単で6通り持っている。ところが、配当の方はなんと370円。これで1番人気というのは世知辛い。
「ガミですねえ」
「なんだ、安すぎでしょ。じゃあ次だ次、次はガールズ?」
私はガールズは完全に専門外だ。群馬氏もあまり好きではないらしいが、ここは説明を任せることにする。
「ガールズは、ちょっと男の競輪とは違いましてね……」
あとから考えると、ちと理屈っぽかったなと反省もしたが、ともあれ、小倉氏にはなんだかんだで、旅先で面白おかしく遊んでもらえたようである。
ネーミングライツを取得したオッズパークのロゴが目立つスタンド外壁(2017.8.20)
場内はイスがかなり多い(2017.8.20)
(2017.8.20)
お値段も安めでよかった(2017.8.20)
1番車が玉村元気(2017.8.20)
新しい施設の競輪場にしては、食堂が良心的。小鉢の多さがうれしい(2017.8.20)