競輪の結果をまとめるところ

レース番号レース種別 半周ラップ(一周ラップ) 1着決まり手 2着決まり手 3着決まり手 J選手着 H選手着 B選手着(上がり) 自分が使うときにまとめる。なんの責任もとりません。

【二十一場目】川崎競輪場

 川崎駅東口のコンコースを降り、そのまま市役所・区役所方面へ5分ほど。箱根駅伝でもおなじみ、第一京浜にかかるX型の歩道橋にたどり着く。ここからさらに直進すると、税務署や法務局、各種の公営スポーツ施設が集積している。その真っただ中に、川崎の競輪場はある。なお、この歩道橋を駅側から見て左折すれば、こちらも川崎競馬場がすぐそこだ。

 

 駅前はキレイに再開発され、内陸の武蔵小杉のみならずこのあたりも、最近は住まいラインキングで人気だという。しかし、品川駅から一駅、多摩川を渡ったここ川崎駅近辺は、かつて関東地方でも有数の「悪所」だった。なんといっても、かの『美味しんぼ雁屋哲原作、暴力・政治・ヤクザの三位一体漫画『野望の王国』の舞台として選ばれたことからも明らか……いや、もう少しわかりやすいエピソードとして、かの正力松太郎公職追放中の1948年、川崎競馬場建設にあたってのエピソードを引用しよう。

 正力がつぎに手がけたのは、川崎・船橋の競馬場の建設である。それは23年(引用者註:1948年)11月のことである。

番町会以来の朋友である永野護が、突然、事務所に現れた。開口一番、こんな話を持ち出していった。

「川崎駅に近い一角に、広い土地が遊んでいる。その持ち主が後楽園級の野球場をつくりたい、と、相談を持ち込んできたけど……」

 正力は追放中の身である。さっそく永野の案内で、後楽園の社長田辺宗英富国生命社長の小林中らと一緒に、実地検分に出かけた。

 正力は現地に着くと、ズバリといった。

「こんなところに、野球場などをつくってもダメだ。川崎の土地柄は大野球場に向かない。それより競馬場にすれば当たるぞ!」

長尾和郎『正力松太郎の昭和史』実業之日本社、1982年、298頁。

 地権者からすれば、野球・興行に造詣が深い正力ら一派に話を持ち込んだのに競馬場とは、という思いもあったろうが、最終的に川崎競馬場は1950年に竣工。戦前以来の工場集積により労働者層が厚く、東京からもアクセス至便なこの競馬場は、人馬の前身とされる戸塚競馬場時代からは考えられないような好成績を挙げる。そしてこの年、生まれたばかりの川崎競馬場でデビューしたキヨフジ号は、国営競馬(公認競馬の後身、中央競馬の前身)へ転じて東京優駿競走(日本ダービー)を制した。その施設所有者は、現在に至るまでよみうり系である。

 では、これは正力の慧眼だったのかというと、なんのことはない。正力らに話が持ち込まれた1948年末、すぐご近所では川崎市営競輪場が、まさに建設中の真っただ中。1949年4月、一足早く1月に初開催を迎えていた「競輪東日本発祥」大宮競輪場に続く、関東2か所目の競輪場としてオープンした。このエピソードのうち「野球場が当たりそうにない」という部分までは事実にせよ、「その代わりに競馬場」という話にまとまったのは、競輪の爆発的な人気の後追い、といったところではないだろうか。

 日本三大桜花賞阪神・川崎・浦和)のひとつ開設記念・桜花賞典競走を擁し、その客入りの多さから、消防・警察関係との兼ね合いで長らく特別競輪の開催を行わなかったほど。昭和最後の特別競輪開催となった1965年のオールスター競輪は、現在まで語り継がれる悪しき古き時代の競輪に輝く美談「白鳥胴上げ事件」だ。決勝戦の最終日、川崎競輪場に集まった客は4万人以上。客席で押して押されて、たまらずバンクの柵を飛び越え、カントを降りて走路の内側へ。数千人の客がバンクの内側で競走を見守る中、当時の絶対強者高原永伍(神奈川期前)を破り優勝したのは、白鳥伸雄(千葉期前)。レース後、白鳥を取り囲んだ客たちは、そのレーサーを高く掲げ、白鳥を胴上げして優勝を祝したという。

 なお、この際の様子を映したフィルムが残っており、2016年松戸オールスターのCMでは、客たちがバンク内に入っていく姿や、もみくちゃの中で自転車が持ち上げられるシーンが使用されていた。

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 そんな川崎競輪場も、競輪業界それ自体の斜陽はいかんともし難く。老朽化した施設改修を進める中で、客入りにあわせたダウンサイジングが図られた。2021年には56年ぶりの特別競輪(全日本選抜競輪)を開催し――コロナで無観客となったが――、久々の昼間開催となった今年の桜花賞も、3,000人という滞留人数上限に達することはなかったようだ。

 4月に転勤で栃木から千葉に戻ってきた私は、土日の3日目・4日目に参戦。川崎競輪場のうれしいところは、新しいスタンドに1・2コーナーコンコース席があること。もちろん、ホームストレッチで集まってわいわい見るのも楽しさだが、これは競走の流れを味わうと点では難しいものがある。翻って、2階部分から3・4コーナーを正面に見るように観戦すると、打鐘からホームまでのスパートの駆け引き、最終バックを過ぎ最後の直線へ向かうところのやりあいをわかりやすく堪能できる。

 

 二日続けて1Rを走っていた小嶋敬二社長(S級2班、石川74期)にお金を託し――最終日はそこそこよい穴をあけてくれた――、久米康平(S級1班、徳島100期)の自分だけ捲りを野次ってみたり。決勝戦前の11R、深谷知広(S級1班、静岡96期)が大石(剣士、S級1班、静岡109期)を使えるメンツの中、瓜生崇智(S級1班、熊本109期)が競り宣言。さて、どうなるかと観ていたが……

 青板周回、深谷はいったん下げて大石→瓜生→深谷の順。当然、すぐに外へ持ち出してアウト競りに持ち込みたいが、その前に金子幸央(S級2班、栃木101期)が先頭の関東3車ラインが、大石を抑えるべく並走に出る。結果として、深谷は内に閉じ込められ、出るタイミングを失ってしまった。ようやく金子ラインが前を切ったのは、もう赤板1・2コーナー中間。ペースが上がる中で慌てて並走に出ようとした深谷を、瓜生があわせて外へ、外へと。技あり。そのまま、瓜生は捲る大石を使って、最後に差しての1着。深谷からすると、日本選手権競輪を前にして、「番手の深谷与しやすし」と侮られかねない結果である。

 

 いよいよ決勝戦。ここまでの負け、5,000円ほど。ここ2年連続で桜花賞を優勝している郡司浩平(S級S班、神奈川99期)が、地元であることもあり1番人気だ。しかし、これが中立地で行われていれば、どう考えても松浦悠士(S級S班、広島98期)の方が人気するはず。二車単から合成する松浦単勝は2.5倍前後、これは買える。最後にチョイ浮きで終えられれば、と4,000円分を総流し、マークシートを2枚に分けを塗った。

 郡司は青板ホームで誘導を切りにいったが、ヨシタク(吉田拓矢、S級S班、茨城107期)の二車、続いて小森貴大(S級2班、福井111期)の二車と東西両ラインが前へ。郡司はさて、中段取りかというところ、さらに松浦も小森ラインを追走。ヨシタクはすぐに下げ小森の番手東口(善朋、S級1班、和歌山85期)の後ろ、3番手をインから取りに行く。ごちゃつく展開を嫌ったか。郡司は8番手まで下げた。

 小森がスパート。ヨシタクは外の松浦をどかそうとするが、松浦はまったく動じない。いつだかインタビューで「外並走はまったく辛くない」と言っていたが、本当にどうすればこんなに強くなれるのだか。逆に、1・2コーナーでインのヨシタクに逆襲を数発お見舞いし、最終バックに入るや捲りに出る。いや、今までも誰かの後ろにいたわけではないので、「ピッチを上げた」のような表現が適当なのか?

 最終バック線を通過し、東口は番手から自ら発進。松浦へのけん制も考えるとまずベスト、そして後方からは、郡司がロング捲りにきて……直線、松浦が東口を交わす。外から突っ込んでくる郡司。ハンドルを投げるその一瞬前、松浦は外に振る!後ろに目がついているわけでもあるまいに、完璧なタイミング。それを乗り越え、さらにもうひと伸びする郡司。どっちだ!

 

 1・2コーナーからは、直線で選手の頭側を見ることになるから、最後の際どいところの様子がわからない。それでもスタンド内に戻ってスーパースローを見れば、、、やはりこれはどっちだ?周りのじいさんども、1番(郡司)だ7番(松浦)だとやかましい。写真判定を行う旨の放送が流れ、ずいぶんと長いな。もう10分近いんじゃ、と時計を見ると、まだ3分やそこらである。

 なにか放送が流れ始めた。おい、決定だぞ。そこですっと静まって、結果に聞く耳を立ててくれればよかったのだが。そんな聞き分けがあれば、あの年まで競輪なんぞやっちゃいない。ワイガヤは変わらず、審判の内容が聞き取れない。すると着順表示に画面が転換し、「Ⅰ」の下に「1」の数字が現れる。嗚呼、チクショー。差されていたか……

 

 すると、「7」が「Ⅱ」のところでなく、なぜか「1」の真下に、縦で並んだではないか。

 

 同着である。賞金も配当も、ぜんぶ仲良く半分こ。というわけで、こちらとしてはほとんど元返しになってしまった。それでも、まさか郡司は2.5連覇扱いというわけでもあるまい。車券では蹴っ飛ばしておいてなんだが、ともあれめでたいことである。

 

 結果が確定するや、雨足が強くなってきた。折りたたみ傘を開く若者、新聞紙を被るおっさん。立派な目立つ傘下には、若いカップルがしゃべりながら。こちらもビニール傘をさし、駅までのオケラ街道を一団で歩く。二年ぶりに首都圏に戻って半月、まだ新型コロナウィルスの脅威は去ってはいないが。それでもやっと、生活が帰ってきた。

 

(2017.4.10)

川崎といえば、アーバンナイト・ナイター。飲食の充実から、居酒屋利用も強い(2017.4.10)

(2017.7.1)

(2018.3.25)

(2018.3.25)

(2022.4.16)

(2022.4.16)

過去に比べると店数は大幅に減ったというが、それでも川崎競輪の飲食店のレベルは高い。(2022.4.17)

(2022.6.2)

たしか職場の先輩と午後休を使いナイター開催に行った際、たまたまやっていた沖縄フェア(2018.8.10)