競輪の結果をまとめるところ

レース番号レース種別 半周ラップ(一周ラップ) 1着決まり手 2着決まり手 3着決まり手 J選手着 H選手着 B選手着(上がり) 自分が使うときにまとめる。なんの責任もとりません。

【二十二場目】防府競輪場

 実家に一人引っ込んで久しい、父と会わねばならぬ用事ができた。こちらとしては面白いことなど何もないので、あれやこれやと引き延ばしていたけれど、いよいよ観念しなければならない。世間のお盆休みから少しずらして、夜行列車の切符を取った。戦後の混乱期、旧軍の上官に誘われて電電公社に潜り込んだという、祖父が建てた家は山口県にある。山陽地方らしい、大製造業の企業城下、そして蒲鉾が美味い街である。

 

 だが、いよいよ出発かというところで、どうも直接顔を合わせなくてもよさそうだ、という流れになった。とすると、わざわざ山口なんぞまで行く必要はない。いや、祖父母の墓参りくらいはしてもよいか……決めかねたまま予約を取り消すタイミングを逸し、出発当日。職場から東京駅へと向かう。駅近くの区営・銀座湯で汗を流し――ここは公営だからか、塩素がちょっと濃い気がする――、21時50分に定刻通りの出発。本日の宿は、寝台特急サンライズ出雲ノビノビ座席。カーペット敷きの雑魚寝だが、料金がお安いのがありがたい。

 ノビノビ座席にはコンセントがないので、携帯はあまり触らない。マスクのままで寝苦しく、寝っ転がっての手持無沙汰だと、どうでもよいことを考え始める。私が競馬や競輪といった公営賭博に手を染めるようになったのは、これを愛好していた父の影響だ。それに、子供時代が『ダービースタリオン』ブームの末期と被っていた。九九を覚えるよりも先に「4×3=18.75%で、奇跡の血量」を理解し、攻略本を読みながら横文字の種牡馬の名前を唱えていた。今でも、競馬場や競輪場で小さな子が親に連れられているような光景を見ると、私はどうにも嬉しくなる。

 一方で、一介のサラリーマンで飲む・打つ・買うを見事に揃えていた父の財政は、とうていまともな状態ではなかった。このうち「打つ」の腕は悪くなかったように思うのだが、勝っても負けても飲みに出ていてはどうしようもない。ちょうどサラ金の全盛時代であり、後から思えばあんなのに大金を貸した方も狂っていた。カネの巡りが悪くなると面白くないことも増えるわけで、中学時代は、家なんてのは可能な限りいないに限ると心得て、始業のずっと前から教室で暇をつぶし、帰りも時間を引き延ばす毎日だった。

 最終的に父と母が離婚してからも、養育費を受け取った試しがない。そもそも、銭がないから離婚したわけであり、乾雑巾を絞っても出るのはこちらの汗だけと諦めて、それで稀に会った際に「ちゃんと内容証明で催告しないと、時効になっちゃうよ」などとのたまわれると、さすがにどうかと思う。まあ、それでも世の中は想像を絶するほど優しいものだ。ほぼ学費を払わないでも高校は3年で卒業できたし、奨学金なんぞを貰ってストレートで大学にまで行ったのだから、たいへん運がよかった。苦学というほどの苦労はしていない。

 そしてそんな父を憎んでいるかといえば、私は明らかに父と近しいタイプの人間なのである。あれだけ「分からない」と叫んでいた母と違って、父の行為や思考は、うっすらとトレースできてしまう。ただ、情けない、根性なしというだけだ。……そんな薄暗い居心地の悪さも、20代も中ごろには、まあ思い悩むことも少なくなった。

 この家を私の代で終わらせるにあたって、必要となるカネも時間もまだまだ多そうだ、という事実が、32歳の私にはめんどうくさい。といって、代わりにやってくれる人間がいるわけでなし、赤の他人様にお願いする筋でもない。ただ、それだけのことである。

 

 朝、車内放送で目を覚ます。夜のうちに、いくらか遅れが出たようだ。このまま岡山まで乗っていると、予定の新幹線に接続ができないようなので、手前の姫路で降りることにする。一度改札の外に出て、まっすぐ伸びる大通りの先に堂々と構える姫路城に向かって少し散歩し、6時に開いたみどりの窓口で新幹線の区間を変更。姫路駅は、在来線改札を経由して新幹線ホームに出る構造である。入札後、一度在来線のホームまで上がり、「まねき」へ。券売機上のラジカセから流れるラジオの天気予報に安堵しつつ、名物「姫路駅そば」を冷やしでいただいた。

 6時21分発の「みずほ」に乗りこむ。岡山到着は6時50分、定刻通りならばサンライズの岡山着は6時27分なので、余裕のある接続なのだけれど。twitterで検索すると、どうもほかの列車との兼ね合いが悪く、遅れが拡大してしまったようである。7時半ごろ、広島駅で「こだま」に乗り換えると、この列車は山口県内の新幹線駅にやたらと停車してくれる。新岩国7時50分、徳山8時04分、新山口8時18分、厚狭8時29分、そして新下関が8時38分着だ。

 新山口で降りて、新しくなった駅舎・コンコースに驚きつつ、在来線ホームへ向かう。山陽線を折り返し、8時28分岩国行きへ。夏休みであろうに部活動なのか、車内は高校生が多い。防府に着いたのが8時44分、高校生らも一緒に下車した。

 

 以前は、駅前から競輪場への送迎バスがあったのだが、コロナを受けて休止中だ。本日は、A級1・2班戦モーニング開催の2日目、第1競走が8時半発走で終了済み。第2競走はまもなく、8時50分発走。第3競走が9時10分発走なので、これを見たいのならば、タクシーを使用することになる。

 そこまでの元気はない。天気も悪くないことだし、歩こう。駅を出て、防府天満宮へ向かって伸びる「銀座商店街」を行く。まだ朝早く、開いている店は少ない。連なる店の傍には、「幸せます」なる、競輪の中継でも使用される防府市のキャッチコピーが目につく。市の広報ホームページなどには、「山口県で『幸いです』『うれしく思います』の方言」と由来が書いてある。しかし、祖父は大分、祖母は広島出身だからか、そういう言葉は聞いたことがなかった。

 商店街を抜けると、防府天満宮だ。競輪場へは、この脇の道路から登っていくこともできるが、せっかくなので境内でお参りしていこう。平日の朝、参道にいるのは私だけだが、とてもきれいに掃き清められている。石段を登って、本殿前へ。ふんふんとひとしきり見学したあと、社務所の横の小道を抜け、職員の方々のものだろう車で埋まった駐車場へ出る。そこからはまた公道に出て、少し登れば防府競輪場の駐車場が視界に入る。お宮の裏手、山の裾にひっそりとある、田舎の小さな競輪場だ。

 

 入場すると、9時30分発走の、第4競走がちょうど始まったところ。竹元健竜(A級2班、福岡115期)が無風で逃げ、番手の高木竜司(A級1班、熊本82期)が差す固い展開だ。平日のモーニング開催だから、観客は20人ほどだろうか。それも、多くは冷房完備の発売所内にいるようだ。人のいないスタンドの観客席に座り、山の緑をしばし眺める。さて、車券を買おう。

 残る競走は準決勝の3つ。第5競走は浅見隼(A級1班、東京115期)に、川口直人(A級1班、神奈川84期)と梅原大治(A級1班、静岡81期)の南関2車がマークする、東日本遠征勢が人気。九州2車先頭の入江航太(A級2班、熊本119期)は速仕掛けタイプだが、脚力的には今ひとつ。ひとまず先に行かせてからの、読みやすい展開になりそうである。オッズ的には川口の差し目2→7が2倍台で被っているが、浅見は直近・逃げ連帯決まり手12回の1着:2着が11回:1回と、「掛かれば差せない」タイプ。そのまま7→2で7倍台ならば、こちらの二車単を一本でよいだろう。

 果たして、ジャンで入江が前へ進出、Sを取っていた中四国勢・田上晃也(A級1班、岡山115期)は引いて中段。そのまま入江が駆けだしたところ、ホームで5番手から浅見が発進する。一足遅れて合わせる形で田上も動き、3ライン並走で1・2角コーナーへ突入した。

 2角出口で、田上が大きくブロックをかける。数少ないじいさん観客の一人が「ありゃぁ!」と声を挙げた。だが、浅見はこれを乗り越え、バック線で捲り切り先頭へ。川口もしっかり追走している。いいぞいいぞ、あとはそのまま差されるな、と滑り込んだ最後の直線、川口の自転車の進みは鈍く、浅見は悠々半車身は余裕の残し。一点買いでの7.2倍は上々である。

 

 第6競走はケンとし、場内を少し回る。といっても小さな競輪場だから、それほど見るところはない。まだ腹が減っていないのでよしたが、休憩所を兼ねた建物内で、食堂1軒が営業をしているのは確認できた。

 そして、防府競輪場にはやたらとツバメの巣が多い。2階の天井の高いところだとか、スタンド内と客席との接続部だとかに、もそもそと大きな茶色い塊がひっついている。なにか、風の巡りがよいとか、周りの森林からエサが採りやすいとか、ここで子育てをする理由があるのかもしれない。以前来たときはちょうど旅立つ寸前で、レース中も構わずピーピー鳴いては、集団で飛び回っていたものだった。今年は、もう空き家のようだ。ツバメも新築が欲しくなることがあるのか、数自体は増えた気もする。

 正直に申し上げると、ただでさえ古いコンクリ造の建物にこれは、場末感を増幅させる。美観という意味ではどうかとも思う。だが、そんなこのスタンドも、この秋から解体・建替えが予定されている。もう、春のたびツバメがせっせと、ここに巣を作り増やすことはない。

 それでも、季節が廻ればツバメは防府に帰ってくるのだろう。差し当っては、近所に別の寝床を確保してもらいたい。ぴかぴかの新スタンドが完成した暁には、またこちらにも顔を出してはくれないものかね。主催者には、旅立ったあとの撤去まできちんとしてほしいけれど。

 

 最終第7競走、湯浅大輔(A級2班、千葉96期)がいるが、このメンバーではなぁ……と、案の定詰まって見せ場なし。まあ、今日は車券で大勝負をしに来ているわけではない。

 モーニング開催につき、10時半にはすべてが終了。場内では第1競走が10時50分発走の小田原記念、同じく11時発走の向日町のS級シリーズの中継が流れ、多くのじいさんらにはこれからが本番だろう。こちらは場外車券を買う気はなく、早々に出ることにする。駅まで歩いて戻っても、11時前にはたどり着く。時刻表を検索すると、鉄道との接続は悪くなさそう。

 

 さて、どうしましょうか。

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正門。コロナ時の入場検温などのため、東門へ入退場は集約中(2022.8.26)

正門にかかる立て看板。往時にノミ屋かなにかが悪さをしたのか、「携帯電話禁止」の跡が(2022.8.26)

こういう立地なので、駐車場は非常に広い(2022.8.26)

往年の長距離バスの名残(2022.8.26)

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夏の空が気持ちよい競輪場だと思う(2018.8.3)

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食堂のほか、発売所カウンターで軽食販売(2018.8.3)

食堂のちゃんぽん麺。なかなか美味しかった記憶(2018.8.3)

入場券(2022.8.26)

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防府天満宮。隣接して観光案内施設もある(2022.8.26)

本殿右手、社務所脇のこの道をいくと、競輪場方面へ抜ける(2022.8.26)

天満宮からひとつ先、この坂を登っていくと同じく競輪場方面。さすが神社の門前だけあり、民家も紙垂など掛けている(2018.8.3)

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防府座商店街(2022.8.26)

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戦災後の復興で、一直線に伸びる大通り。姫路城が観える構図はなるほど見事(2022.8.26)

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「まねき」在来線ホーム・ひやしとり天そば(2022.8.26)

銀座湯は、東京駅八重洲方面から徒歩10~15分ほど。高速バスターミナルからも具合がよい(2022.8.25)