秋晴れの休日、午後2時の公園では、登っては滑る大遊具へ子供たちが突撃し、歓声が独りの耳に高く刺さる。きちんと刈られた芝生のうえに、レジャーシートと夫婦連れ。400mの陸上トラックを走る、洗濯済み最新ジョギングウェアたち。プロ・バスケットボールチームが本拠地とする複合アリーナは新築で、前面ガラス張りの1階に入るフィットネスジムじゃ、短髪の男女がルームランナーを駆っている。アリーナ裏の広い駐車場からすれ違ったのは、来週学校での発表を爛漫に語る、低学年と父親の会話。
馬にまつわる標識ひとつ、馬頭観音くらいは残しているんじゃないかと周囲をしげしげ歩いてみるが、そこにはあまりになんにもなくて、私は無性に可笑しくなった。アリーナの2階テラスにあがれば、それでも未使用で残る広大な跡地が、ただ真っ平らで眼前に広がる。駅からの送迎バスはあのあたりに停まったはず、とすりゃここが入場門で、おでんが美味かったパドック脇の売店長屋はそこ。スタンド2階の1コーナー側に、名物のラーメン屋があったなぁ。隣のおっちゃんが大絶叫した最終コーナー、コースがこう右回り、するとゴール板が……と風景を思い返してみるけれど、往時の殷賑を偲ぼうにも、見事に整地された地面は淡い秋の陽射しを反射しそうなほどまっさらで、夏草一本も生えちゃいない。
鉄鋼業をはじめ山陽屈指の工業都市であり、40万人の人口を擁する広島県福山市。かつてここにあった競馬場が廃止されたのは、2013年のことだ。それから7年、跡地の三分の一ほどを使い、最新の総合スポーツ施設である「エフピコアリーナ福山」がこの3月に完成した。
もう、自分が福山に来ることはないな。そう帰ろうとすると、道沿いの古い看板が目に入った。色はすっかり剥げているが、描かれたマスコットキャラクターは「ガッツ玉ちゃん」、宇野駅すぐの玉野競輪場の開催告知看板は、かつて隣県の公営競技場同士のよしみで設置されたものだろう。
旅打ちに行くのに、岡山県玉野市にある玉野競輪場はお気に入りの競輪場である。「サンライズ瀬戸」や神戸からのジャンボフェリーでいったん高松に、そこからさらに瀬戸内海を渡って宇野に乗り込む旅程は楽しく、山陽道を岡山市内からの寄り道にもよい。復路でも、関西や中京圏の場に途中下車の余地が大いにある。競輪場内は、2コーナー側で唯一営業していた食堂のおばちゃんらはあれでなかなかの腕。記念以上になると無料開放するメインスタンド2階、旧特別観覧席から見える瀬戸内海も嬉しかった。
だが、玉野競輪場のスタンドは、小松島や奈良と並んで老朽化が進んでいた。照明導入によりミッドナイト競輪、さらにはナイター競輪を開催し経営は一息ついたが、自前で建て替えの費用を捻出するのはハードルが高い。存廃が気にかかっていたところ、チャリロト買収をはじめ競輪関連の業務展開を広げるmixiの協力による、再整備計画が報道されたのが2月のこと。耐震性に問題のあるスタンドを建て替えるだけでなく、地上8階建てのホテルを敷地内に併設するという。
世界に目を向ければカジノ・ホテルはありふれているし、ドバイ・メイダン競馬場の例もある。国内でもプロ野球ではホテル隣接の競技場が古くから存在するが、「競輪が観戦できるホテル」とは、一部競艇場のラグジュアリーなロイヤル席や、大井競馬場のダイヤモンドターンをさらに越える、従来の国内公営競技界ではなかったユニークな企画だ。
それにしても、「流行の会員制サイトの運営会社が、20年後は競輪事業に社運を賭けている」なんて中学生当時の自分に言っても、まあ信じて貰えやしないだろうね。
あっという間に改修前の最終開催となった9月末、コロナウイルスもようやく一息ついたので、久々に遠出をすることにした。いったん出た福山から岡山駅に戻り、宇野線へと乗り換える。瀬戸大橋の開通まで本四連絡の大動脈を担ったこのローカル線に1時間ほど揺られると、終点宇野駅に到着する。改札を出て、線路を少し戻ったところにある食用油工場の角を曲がり、あとは坂道を進んでいくと、大きな傘を開いた玉野競輪場の入場口が見えてくる。
コロナ対策の検温・消毒を済ませ、場内に入る。すでに工事は始まっており、場内奥手の1・2コーナー寄りファンエリアは取り壊し済み。そこで営業していた食堂がなくなってしまったのは残念である。そのほか、食料の調達先として場内にはヤマザキショップが1件あったのだが、こちらも今月いっぱいで店じまいの張り紙が貼られていた。閉店に向け、食料品のたぐいはほとんど売り切れているようである。メインスタンドも、特観席内の机などが撤去され、内部に足場が組まれている様子が伺える。しかし、上階の審判室だけは明かりがついていた。こちらは、開催がなくなってから本格的な解体工事に入るのだろう。
COVID-19下の斡旋状況下にあっても、この開催はちょっと変則的で、ガールズ2レースに男子のA級抜きS級オンリー7レース。岡山支部所属のS級選手はだいたい斡旋されているようだった。バンク自体に改修は入らないとはいえ、工事中は練習場所をよそに移す選手もでるはず。地元選手からすれば、この開催は燃えるに決まっている。
と、頭から信じ込んでやってきた最初のレース、第3競走は負け戦で地元四車が並ぶのならば、小玉拓真(S級2班、岡山98期)が早めに出切る展開か。番手の土井勲(S級2班、岡山82期)とすんなり筋で4倍そこそこ、小玉が垂れるなら土井の後ろの戸伏康夫(S級2班、岡山96期)まで出て20倍だ。
ところが、対抗ラインである児玉の同期・掛水泰範(S級2班、高知98期)が前を取ると、ジャンからマイペースで後ろの様子を伺って流す。小玉はまったく出ようとせず、そのまま掛水がスパートする一本棒の展開となってしまった。最終バックを過ぎ、3コーナー前からようやく小玉が捲くりにかかり、直線粘る掛水をどうにか交わして1着。土井はちぎれ気味ながらもついていったが、及ばず4着までだった。せっかく1着を取ったというに、場内のじいさまから小玉にヤジが飛ぶのだから、競輪選手というのも因果な商売である。
次の第4競走では、滝本泰行(S級2班、岡山107期)が先行する今岡徹二(S級2班、広島111期)に対し二度のアタックで消耗させると、最終バックで工藤文彦(S級2班、岡山97期)が自分で捲って1着。後ろの丹波靖貴(S級2班、岡山74期)もついていって、地元ラインの協力による本命決着だった。だが、あいにく今度は地元ラインを持っていない。まったくままらなない。
準決勝の2つ目で、大川龍二(S級2班、広島91期)を使った地元の総大将・三宅達也(S級1班、岡山79期)が番手捲りで勝ち上がり。地元勢の決勝進出は、この三宅1人だけだった。
競輪場を出ると、すっかり暗くなった坂を下る。駅前にとった宿は、古いビジネス旅館をリフォームしたもので、室内の調度品はわざとらしいほどに和風である。外国人向けなのだろう、宿帳のフォームが英語だったのもむべなるかな。マネージャー氏が親切丁寧で、観光情報をいろいろ教えてくれたこと、シャワー室を含め、清潔な点は感心した。
翌朝、早朝に駅前のフェリー乗り場から発つ。かつての鉄道連絡船と並行していた宇高航路の民間フェリー業者は、瀬戸大橋開通当初こそ橋の通行料金の割高さゆえに競争力を維持したが、徐々に苦戦を強いられていった。とりわけ、この数年は便数が大幅に削減されており、個人的にも四国からの戻りに乗れないかを調べては、時間があわず断念することが続いていた。けっきょく、自治体からの支援も限界があり、最後まで残っていた四国フェリーも、昨年2019年12月に廃止となってしまった。
それでも、歴史ある宇野〜高松の直行航路こそなくなったが、宇野港からは瀬戸内海の島々へと向かうフェリー・高速船が数多く就航している。そのうちのひとつ、直島に向かう朝6時半発のフェリーに乗り込む。直島へは20分ほど、そこでいったん降りて、高松行きのフェリーを乗り継ぐ。朝の瀬戸内海の島々のまぶしさと、遠くに霞む巨大な瀬戸大橋の威容を眺めつつ、こうして朝8時過ぎには、高松港に到着できた。
とにかく、宇野まで来たら高松に渡りたかっただけ。朝営業のさぬきうどん屋をひっかけたあと、そのまま高速船で直島に戻る。直島は、この10年ほどで「アートの島」として世界的な認知を受けたことで知られている。COVID-19さえなければ、この季節は外国人観光客でごった返していたはずだ。ベネッセーーそう、私もガキのころやらされたあの通信教育教材ーーの創業者一族らの手による、その経緯についてここでは語らない。昨晩宿泊した宿も、この直島観光の拠点として開業したもの。なんなら、玉野競輪場の新ホテルだって、このアート・ツーリングを多分に当て込んでのものだろう。
日本人観光客の数はかなり回復しているようで、この日は直島港から各作品群に向かうバス便も、臨時のマイクロバスまで出して対応していた。玉野のナイター開催まで時間もあるので、私もひととおり島内を見て回る。辟易するような作品も多く、地中美術館は完全予約制という勿体の付け方のわりに、展示作品数が少ないのですぐに見終わってしまう。だが、この地下神殿の奥に鎮座するモネの「睡蓮」は圧巻である。地下というに太陽光を天窓から取りいれ、全面が白い大理石張りの曖昧な空間に射す。その壁に、あの絵の具の暗い鮮やかさと塗りの厚みが、ぼっと咲くように浮かぶ。安藤忠雄の設計によるこの展示空間は、核戦争かなにかで現行文明が崩壊し、廃墟となってからも静かに収蔵品を守り続ける迷宮のような空想性がある。なにより、「赤ペン先生」の元締めを何十年も続ければ、あんなにでかいモネのよっつ、いつつを買えるというのも、たいへん夢がある話じゃないか。
最後に、フェリー乗り場近くのアート銭湯「I♥湯」で風呂をもらった。外見から内装まで奇抜な姿は、まあそれが作家性なのだろう。ただ、湯の塩素臭が濃いこと、備え付けのシャンプー・ボディソープが、駄菓子のチューインガムみたいなドギツいフルーツ・フレーバーだったのまで、アートというならいただけなかった。
夕方のフェリーで宇野に戻り、競輪場へと向かう。最終日、メインスタンドが閉鎖されていることもあり、ゴール線前の狭いスペースに集まる客の熱気は悪くない。私の車券はかすりもしないが、とにかく陽が落ちた場内の暗がり、その様子を目に焼き付けておこうと歩き回る。山肌に造られた競輪場であり、施設の古さもあって、なんとなく小田原、伊東温泉あたりを思い出す。
工事期間中、来月からは通常の発売機での車券発売がなくなるので、売り場には「チャリロトプラザ」での電子マネー投票を呼びかける掲示が目につく。爺さんおっさんたちには難儀だが、このCOVID-19下の1年ほどで、以前は現金派だった高齢ファンも、今ではけっこうな人が携帯での購入に対応しているはず。それに、発売機は現金の数え間違いが許されないため、その処理機構はATMと同等品と考えられる。これはかなり複雑で高価だろう。今後は、本場でもキャッシュレス投票が主流になるよう、あの手この手があるかもしれない。玉野だって、工事中2年間に渡り本場客は電子マネー投票に慣らされるわけだから、リニューアルオープン後の通常券売機の設置数は、ギリギリまで削ってくるはずだ。
ガールズ決勝は梶田舞(L級1班、栃木104期)で決まり、いよいよS級決勝戦。場内の観客のだいたいは、単騎となった地元・三宅の優勝を願っているに決まっている。ここまでピンピンでの勝ち上がり、ラストを地元選手が完全優勝とは洒落ている。お定まり、物語ってのはそういうものだ……と考えていたら、発走台についた選手に向けて、一際大きな黄色い声が飛ぶ。どうやら、加倉正義(S級1班、福岡68期)のおっかけ女性ファンであるらしい。なるほど、世の中はいろいろな人がいていいものだ。
ジャン前、飛びつき狙いの山形一気(S級2班、徳島96期)が誘導を切って、後ろを振り返りながら流す。そこに、荒井崇博(S級1班、佐賀82期)が3コーナーでカマシ。三宅はこのラインの後ろ3番手を追走で、ひとまず出切ろうと……
「おいおいおい」
と、眼前で離れ気味の三宅に客がどよめく。そこで、加倉の前を任された原口昌平(S級2班、福岡107期)が叩き返し、内から山形ライン、荒井ライン、原口ラインが並走するごちゃついた展開になってしまった。加倉への歓声が後ろから聞こえる。三宅は浮かされて、2コーナー出口でいったん最後方7番手である。
最終バックでいったん原口が捲りきったが、荒井も垂れず原口の後ろを確保する。三宅はふたたび外から捲り、加倉は逆にインを掬った。直線に入り、原口の番手から荒井が抜け出し1着、加倉がインをさばいて2着。三宅は踏んだが伸びが鈍く5着、3着には使われた原口がどうにか粘った。
これで、改修前の玉野競輪場での全レースが終了した。三宅に期待していたおっさんも、加倉命の九州女子ーー荒井なんで垂れねぇだとご立腹ーーも、表彰式の準備が始まり、ガッツ玉ちゃんの着ぐるみが登場するころにはだいたいみんな幸せそうだ。梶田と荒井がインタビューを受け、拍手と笑いに包まれながらファンサービスのグッズ、花束を金網越しに放り投げる。
帰り際、人の流れに乗りながら、入場門のところで上を見上げた。玉野競輪場の入場門の裏側には、帰り際に見えるように大きく「see you again 」の文字が掲げてある。mixiにも、玉野市にも、JKAにもそれぞれの思惑があるのだろうが、たとえ姿を大きく変えたとしても、この玉野の地に競輪場があり続けることが、どれだけすばらしいことか。新生・玉野競輪場への旅打ちが、今からじつに待ち遠しい。
宇野駅のバス停の開催告知看板と「夢の3連単」(2016.9.1)
玉野競輪場の入り口は、丸い大笠が特徴的(2016.9.1)
(2020.9.26)
ブフリら外国人選手も参加した国際自転車トラック競技支援競輪(2016.9.25)
(2020.9.27)
(2020.9.27)
どこの競輪場もキャラクターの一人二人はいるが、やたらと公式からフューチャーされるキモカワ系ケツアゴキャラ「ガッツ玉ちゃん」(2020.9.27)
こんな設定だったのか……(前橋競輪場の各地マスコットコーナーにて、2020.9.12)
かつては営業していただろうタバコ屋(2016.9.1)
取り壊された2コーナー奥部分?(ちょっと曖昧)(2016.9.1)
すでに物置になっていた廃止食堂(2016.9.1)
(2016.9.1)
(2020.9.26)
使用されていない予想屋さんの台。2020年現在も、屋内発売所で現役の方がいらっしゃる(2016.9.1)
メインスタンド。二階の特観席へ続く階段の雨よけがおしゃれだが、すでに記念以上でないと発売しなかった(2016.9.1)
なのでいつでも満席(2016.9.1)
(2020.9.26)
すでに工事が始まっていた(2020.9.26)
(2017.3.4)
(2020.9.26)
(2016.9.1)
営業していたころの食堂のちらし寿司とラーメン(2016.9.1)
(2020.9.27)
(2020.9.26)
キャッシュレス端末仕様を呼びかける掲示(2020.9.26)
(2020.9.26)
(2020.9.26)
(2020.9.27)
(2020.9.27)
直島行きのほか小豆島便などもあり、瀬戸内観光の拠点には悪くない(2020.9.27)
宇野港を振り返る(2020.9.27)
直島・宮浦港(2020.9.27)
(2020.9.27)
(2020.9.27)
島内には、草間彌生作のオブジェも2箇所ある。ドンキで売っていそうとか言ってはいけない(2020.9.27)
(2020.9.27)
まあ世界中から押し寄せる意味はあまりわからんが、地中美術館とジェームズ・タレルによる視覚の錐体・桿体細胞にまつわる展示は立ち寄る価値はあるように思う(2020.9.27)
(2020.9.27)
大竹伸朗によるアート銭湯「I♥湯」。一応、入浴施設として使えないこともない(2020.9.27)
じつは宇野駅もアートな感じ(2020.9.27)
ありしの四国フェリー宇野〜高松便(2016.9.1)
宇野港出港時。左手の山に見える白い文字は、「玉野競輪」の文字が。競輪場はあの裏手(2016.9.1)
高松側乗り場(2017.3.4)
フェリーより速い高速船(2020.9.27)
(2020.9.26)
(2020.9.26)
福山競馬場跡地に建てられたエフピコアリーナふくやま。この日は休日ということもあり、子供連れで賑わっていた(2020.9.26)
(2020.9.26)
(2020.9.26)
跡地はいまだ半分以上が空き地で残る(2020.9.26)
競馬場跡地前に残る、玉野競輪場の開催告知。この5月までは更新されていたようだが
(2020.9.26)