「本日から2泊、朝食付きでご予約いただいております。代金の方は、オンラインで決済済みですのでこちらではとくにございません。ルームキーのカードになります。11時が門限となっておりますので、それ以降にお戻りの場合は1階の駐車場からこのカードでお入りください。櫛・カミソリはご入用ですか?かしこまりました。朝食は朝6時半から、会場は……」
新青森駅から、15時台の新幹線で青函トンネルを抜け函館へ。駅前徒歩3分のビジネスホテルにチェックインした。その受付のマスターが、たいへん聞き取りやすい調子の、親切丁寧でありがたい。観光都市函館の玄関口で、長年にわたって培ってきたプロ根性だ。だがなこちとら、朝から青森競輪のS級シリーズでだいぶヤラれて、途中で切り上げてきたところなんだ。そんでもって、もう次の現場が決まっているんだ。少々うんざりしてきたところに
「最後に、市の方からこのようなものが出ております。観光促進のための飲食クーポン券、2,000円分です。朝市さんですとか、市内の飲食店でお使いください。使用可能な店舗のリストはあちらに用意してございます」
と、白い封筒を渡される。このホテルの宿泊料からして、平時の夏の函館では考えられないほど安い。水産・造船業も斜陽となって久しい函館の街にとって、観光産業の占める地位は大きなものがある。それがCOVID-19により大打撃を被った今、無理にでもカネを流し込まないことには、耐えられないという判断だろう。
きっちり仕事をしてくれたマスターに礼を言い、部屋に荷物を置くと急いで駅前へ。本数の少ない競輪場行きの無料バス「りんりんバス」に間に合った。
20分ほどで、バスが競輪場に着く。入場口で、サーモグラフィによる検温と、手の消毒が指示される。函館競馬が客を入れないなど娯楽が制限されたCOVID19下、ナイター GⅢ開催・函館ミリオンナイトカップ。準決勝が行われる開催三日目の場内は函館ナイター開催としては上々の客入り、客層もずいぶんと若返った。
着いてすぐ発走した、第5競走が終わる。スタンド内へ戻ろうと振り返れば、すぐそこに見知った顔が。どうやら、あちらは先にこちらに気づいていたようだ。
「どうも、お久しぶりです」
「お久しぶりです、なんか老けましたか?」
「いやぁ、白髪がずいぶんとですねぇ。いつ以来でしょう」
「川崎競輪場のあと、飲み屋でベロンベロンになった時じゃないですか」
「ああそうだ、じゃあ3年くらいか。あのときは酷かった、すいません」
この札幌在住のH氏とは、SNS上で知り合ってから10年近い交流がある。今回、たまたまH氏も函館遠征を考えており、せっかくならと連絡を取り落ち合った。
「今のレース、取りましたか?」
「いや、こんなしょーもないレースはどうしようもない」
「染谷(幸喜、S級2班、千葉111期)がなんもせんかったですね」
「早坂(秀悟、S級2班、宮城90期)が逃げてその後ろで、つまんないなぁ」
「なんの用もないところで、地味に新田(康仁、S級2班、静岡74期)が殴り込んでたのは面白かった」
「ああ、なんか後ろでやってたね」
ゴール前から離れた4コーナー脇のベンチに移り、競輪場の客らしいたわいもない会話を交え、予想をする。第6競走、点数の抜けた若手・眞杉匠(S級2班、栃木113期)が人気、マークするは東京の二人。
「岡田征陽(S級1班、東京85期)と朝倉(佳弘、S級1班、東京90期)か」
「東京のS級選手ってのも、登録選手人数のわりにパッとしませんね」
「今、一番点数持っているの誰なんだろ、やっぱり朝倉なのかな」
「検索します……鈴木竜士(S級1班、東京107期。この春に茨城から登録地変更)が一番ですけど」
「鈴木竜士は違うでしょう」
「ですねぇ。すると、やっぱり次は朝倉。ほかには河村雅章(S級1班、92期)、河合佑弥(S級1班、113期)」
「ああ、若いのだと河合がいたか」
競走の方では、若い市橋司優人(S級2班、福岡103期)が岡田をどかしにいく展開。かなりドギツくやりあっていたが、ここで若造に切り取られては沽券に関わる。岡田は番手を守りきるも、
「あ、朝倉のところに入っちゃった」
3番手にいた朝倉が位置を下げ、市橋がそこに収まった。そのままゴールに流れ込み、眞杉→岡田→市橋の順で、3連単が3,710円の配当。
「朝倉、だめでしたねぇ」
「これで、40倍かぁ。みんな上手いなあ」
次の第7競走からが、2着権利の準決勝となる。
「近藤隆司(S級2班、千葉90期)、最終ホーム何番手になると思います?」
「6番手じゃないですか?輪太郎(石塚輪太郎、S級1班、和歌山105期)が切りにいって」
「ふーん。どこから買います?」
「輪太郎の後ろの笠松(S級1班、愛知84期)からです」
果たして、赤板ホームで近藤が上がっていったところを輪太郎がさらに切り、山岸佳太(S級1班、茨城107期)がカマシ追い上げる。これは先行・輪太郎の3番手を確保。近藤龍司は、6番手に置かれてしまっている。お互い、
「山岸そこに収まるの」
「山中それはだめだろよ」
と口に出た。輪太郎がそのまま飛ばし、さあ、3コーナーへの侵入は理想の順番、あたったか?とは皮算用が早すぎる。輪太郎は直線いっぱい、番手から抜け出した笠松が1着、流れ込んだ2着の山岸までが決勝進出である。
「このレースは当たりました?」
「残念ながら」
「ええ、笠松さんから買ったのに?」
「山岸が相手にいないです。輪太郎が残ればな」
「絞って買いにいったんですね」
「オッズがちょっと渋かったので……」
「ああ、でもこれで5,800円はまたなあ」
続く第8競走は、小原佑太(S級2班、青森115期)からの北日本ラインが人気だ。
「小原はこっちなんですね。逆に、菊地圭尚(S級2班、北海道89期)が青森のSシリにいました」
「ああ、ケイショーそういえばいないね。青森に出てるの」
「新聞のコメントで、本人も地元GⅢ走れないのは、的なこといってました」
その小原が逃げたこの競走、最終バックを一本棒で通過した小原が最後垂れ、番手の安倍力也(S級1班、宮城100期)が抜け出し1着。外から直線追い込んだ山中秀将(S級1班、千葉95期)と藤木裕(S級1班、京都89期)が2・3着。入線するや
「あー、7-1-6でしょ……」
とつぶやいて、スタンド側のモニターでゴール線上のスーパースロー映像を視る。やっぱり外れているのを確認して、
「さあ、もう最終レースですか」
「野口(裕史、S級1班、千葉111期)はあんま速くないから、叩いたにしても残らないと思うんだよなぁ」
「小森(貴大、S1級2班、福井111期)、野口とは同期ですけどこっちもあんまり残るとは。やりあっちゃうと」
「だよなぁ」
我々はそれぞれ、混戦前提で単騎で器用に立ち回れる鈴木庸之(S級1班、新潟92期)のアタマからと、縦脚がある椎木尾拓哉(S級1班、和歌山93期)からの車券だ。
さて、早い段階から野口と小森の踏み合いになり、野口がこれを制する。最終バックから久米康平(S級2班、徳島100期)が捲りに来たのを、野口マークの松谷秀幸(S級1班、神奈川96期が)が振って止める。おおっと、場内が沸いたところ
「よし、インが開いた、よーしよしよし」
椎木尾が縦に踏みこんで内から抜け出す。後ろにいた鈴木が器用についていき、2位入線。久米を沈めた功績は大も、松谷は3位入線だった。
「あー、2着か。持ってました?」
「ありますけど、抑えだけ。トントンくらいですね」
ところが、第3コーナーの赤ランプが点灯する。審判放送によると、内側追い抜きの疑いで、2位到達の鈴木が審議対象とのこと。
「松谷2着だとなんもないなぁ」
「競輪は、今じゃ一番失格が多い競技ですよねぇ」
審議に時間がかかっている。これはどうだろう。周囲でも、いったん帰ろうとした脚を止めた客たちが、あれはだめだ、いや対象はどれ、どうだろう、どこのこと?と、みなそれぞれわいわいやっている、だが、5分ばかりの審議の末、最終的には
「審議の結果、失格とはなりません」
の放送、よかったよかった。
その日はH氏が、函館で手広くやっている居酒屋を案内してくれた。H氏は地酒を舐め、私はハイボールのメガを腹に流し込む。酒が入るに連れ、共通の知人の近況についてなども話が弾んだ。だが、ここ数年の不漁のためだろう。ナイター競輪のあとではもう、活イカ刺しは売り切れていた。
翌日、いつもどおりに6時前には目が覚める。函館ナイターの第1競走発走は16時すぎだから、夕方まで1人で時間を潰さなければならない。函館は以前も訪れたことがあり、そのときに主だった観光地は一通り回った。二度目が欲しくなるほど感動した場所もなかったので、今回は市営の博物館だの、資料館だのを見て回って過ごすことにする。
箱館戦争で使われた、血の跡が残る太刀や具足がある。こういうものを実際に見ると、また五稜郭の土の上を歩いてみたくなるような気もする。アイヌが貂やラッコの毛皮と交換にアムール交易で手に入れたという、五爪龍の山丹服は鮮やかだったが、それよりも丁寧なアイヌの手芸・ビーズ仕事がおもしろい。ついつい、いろいろと質問しながら回っていると、案内役のボランティアの方から「白老にできたウポポイ、うちからも、あそこにはいろいろ資料を貸すような話がありまして。すごいですよ」と勧められた。
ただ、函館文学館を名乗りつつ、二階フロアのほぼすべてを石川啄木の恨みがましい日記手記ばかりに当てているのはよくわからなかった。渋民の啄木記念館と収蔵品が分かれているのも、ファンにとっては大変だろう。
湯の川温泉で入浴を済ませて、夕方に競輪場へと戻った。1階のホールでオッズを見ていると、向こうからH氏がやってくる。ひとしきり昨晩の礼を済ませたあと、
「ところで、今日は特観席の様子を見たいんですけど、どうですか」
「いいですね、あがりましょう」
函館競輪の特観席は安く、400円で入ることができる。発券機にお金を入れ、ゴール前の座席を指定すると、案内役のおばさんが
「ええと、今日は最終日なので、600円分です」
と、場内で使える300円分飲食券を2枚渡してきた。この時点で200円の儲けが出ている。しかも、特観席の入口で、紙パック入りの飲料を配っていた。100%のオレンジジュースをストローですするが、この錬金術には釈然としない。そもそも、函館競輪場は美味いものがろくすっぽない場だから困っている。
「2階奥の食堂も潰れてしまって、ますます食べるとこがなぁ」
「1階の売店みたいなのくらいですか。今日は、入場口の外に屋台トラックが出ていましたが」
「ああ、いましたねぇ。なんか調達してきましょう」
そういって手に入ったのは、謎のフライ一式に、作りおきを温めたスパイシーたこ焼き。タダ飯に文句を垂れるお行儀の悪さは十分承知しているのだが、
「やっぱり、函館は食べるものがないですねぇ」
ということになる。
この日もなかなか当たらないままレースは進み、いよいよ最後の決勝である。
「最後、どうしましょうか」
「今日も、鈴木からいこうと思います」
「なるほど、山岸は今日こそ逃げますか」
「山中はいつもの捲りでしょうし、あっ」
「どうしましたか」
「鈴木、売れているや。このオッズじゃなぁ」
「昨日もそういうのありましたね」
「そうなんですけど、5倍じゃ。ちょっと考えよう」
ウンウン10分ほど、専門紙とオッズとを睨みつけた末に、
「やっぱり、山中の捲りが強い気がします。人気ですが、もっと買われてもいいはずだから、そこでいきます」
との結論。ところがレースの方が始まると
「あっ、山岸が突っ張りましたね」
「山中は引いちゃった」
「ジャンで叩くか……ないか。流して山岸の先行だ」
「山中捲くって、、、ダメダメ進まない」
山中は三番手並走で浮いてしまい、3コーナー前で失速。山岸の後ろを難なく守った鈴木が直線で差した。鈴木は、これで函館ナイターGⅢ優勝2回目という。
「なんか、最後に後ろから阿部(力也、S級1班、宮城100期)が突っ込んできましたね」
「山岸も残ったようだったけど」
リプレイを見ると、人気薄の阿部がインから追い込みで2着、山岸は後ろから迫った笠松を振り切り、3着に粘っていた。配当の方は、二車単で1,210円、3連単はラインのサンドイッチで跳ねて、8,570円は悪くなかった。
「ははは、でもこれはしかたない、仕方がないですね」
それでその場の会話は終いになって、では今晩も飲みましょう、と、出口へと向かう人混みに乗り、私たちは競輪場を後にした。
函館の市電はたのしいもの。競輪場へは深堀町駅から徒歩15分ほど(2017.9.9)
競輪場の隣は、陸上自衛隊の駐屯地。特観席からは演習場も見える(2020.8.9)
(2020.8.9)
(2017.9.9)
(2020.8.9)
(2020.8.9)
(2020.8.10)
特観席より(2020.8.10)
サービスがとてもよかった特観席(2020.8.10)
スタンド内ホールの様子(2017.9.9)
場内には、全国の競輪場のマスコットキャラが展示されているコーナーも。ちなみに函館競輪場のキャラクターは左上のりんりん(2020.8.9)
ケータリングのスパイシーたこ焼き(2020.8.10)
函館市のクーポン券(2020.8.9)
(2020.8.11)
(2020.8.11)
活イカ刺しは朝市で無事に食べられました(2020.8.11)