競輪の結果をまとめるところ

レース番号レース種別 半周ラップ(一周ラップ) 1着決まり手 2着決まり手 3着決まり手 J選手着 H選手着 B選手着(上がり) 自分が使うときにまとめる。なんの責任もとりません。

【十二場目】豊橋競輪場

  名古屋行きの夜行バスを、早朝5時に豊橋駅で途中下車した。ネットカフェで仮眠を取り、朝9時そこそこに駅前から愉快な路面電車に乗る。競輪場前駅で降りたが、ここから豊橋競輪場の入り口へは、さらに5分ほど歩かねばならない。

 駅からまっすぐ行くと見えてくる南門入場口には、警備員氏がおひとり。視線があうと、目礼などして

「おはようございます!」

と声をかけてきた。こりゃ、ずいぶんと礼儀正しい。だが、時間はまだ9時40分過ぎ。開門の10時には早いはずで、

「おはようございます、もう開門していますか?」

と聞くと、警備員氏びっくりして

「お客さんでしたか、これは失礼。開門は10時からで、まだ入れません」

との答え。職場からスーツ姿のまま夜行バスに乗り込んでいた私を、なにか関係者と間違えたのだろう。そのまま入っていたら大変だったな。お互い同じような苦笑いをして、南門を通り過ぎ、競輪場の横を流れる川で時間を潰した。

 警備員以外にも、競輪場の中には随分といろいろな仕事がある。一番の花形は当然ながら選手たちだが、競走を成立させるための業務を担うJKAの検車員、審判委員や発走委員、番組編成委員。豊橋の場合は市営競輪だから、豊橋市役所勤めから競輪場に配属となった方もいるのだろう。トータリゼーターや映像機器については、専門の技術者も必要だ。実況アナウンサーなどは、競技場の顔になることもあるくらい。

 あとは、なんといっても発売所関係。自動発払機が導入され、入場者数もこの斜陽では往時と比べるべくもないが、穴場の向こう側では今でも多くの人たちが働いている。この発売所業務の従事者は、競技によってはかつて強固な労働組合組織を築き、待遇改善を掲げスト闘争を行ったという。

 なくなってしまった仕事もある。行列回避のための私設両替・払戻屋は、ほとんどの公営競技場から姿を消した。同じく、公認のお立ち台・予想屋稼業も大変だ。消えてよかった方では、ノミ屋・コーチ屋のような存在も、かつては場内に跋扈していた。

 10時を回り、今度はきちんと正門から、入場料を払って競輪場内へ入場する。流れているジ・アルフィーみたいな音楽は、競輪場のテーマソングだろうか。朝一番の場内は、綺麗に清掃されていた。

 豊橋は特観席が安い。500円で上階の指定席が取れ、ソフトドリンクの飲み放題がつく。ゴール前の席を取り、特観席内を回っていると、穴場の脇にちょっと感じの違う機械が置かれていた。「七転八起」「心機一転」「一発逆転」といった文字があしらわれたそれは、外れ車券抽選機なるものらしい。哀しくも的中ならなかった車券を入れると抽選が始まり、うまくすれば選手のサイン入り競輪グッズやクオカードがもらえる、という趣向だ。

 これは、なかなかの知恵ではないか。公営競技場の地面といえば、踏みしめられた外れ券。近くのごみ箱に捨てる手間を無精し、そこらに放り投げて済ませる流儀は、食堂などのノスタルジアと表裏一体で競輪場内を生き延びてきた。結果、だれかが箒とゴミ袋を持って、性懲りもなく外れた車券を拾いに、延々と場内を巡り続ける。

 これについて、「そのおかげで清掃の雇用が生まれ、誰かが仕事にありつけているんだ」と主張する人がある。発想はおもしろいが、タチの悪い客が、清掃係が地面を掃いている、そのすぐ横で車券を捨てる。見ていて気持ちがいいものではない。

 いまさら「外れ車券はお近くのごみ箱にお捨てください」と真面目腐った放送を流したところで、結果は知れている。だが、この抽選機を設置すれば、スケベな客たちのこと、利用率はそれなりのものになるだろう。他人が放り投げた車券を、拾って入れる欲深さには万々歳だ。本場に来てもネット経由で投票する人――主催者からすれば、業者に支払う手数料分を損する――が、紙車券を買う誘導にもなる。

 さっそく、近藤悠人(A級3班、鹿児島93期)から裏喰って外した、1レース分の車券を抽選機に入れる。液晶画面の中でルーレットが回り、残念ながら目は揃わず。そうそう、的中がでるような設定でもないか。

 さて、遅めの朝食を取ろうと、特観席から下に降りて売店のひとつを覗く。メニューにおにぎりの文字があるが、ドテ煮、おでんらを並べた卓上には見当たらない。店主のおばちゃんに尋ねる。

「すいません、おにぎりはありますか?」

「あんよ、鮭でいい?」

別に嫌いでもないから、そのまま鮭をお願いする。するとおばちゃんは

「あい、今握かっらちょっとまってな」

と、手近に置いた炊飯機を開けるや熱い米飯をすくい、きゅっきゅっきゅと巧い手つきでやりだした。私は一瞬呆気にとられるが、これも、競輪場の中にある、当たり前の生業なのだろう。

 完成した握り飯はのりを巻かれ、いっしょに頼んだ焼き鳥とともに、白い発泡スチロールトレイの上へ。

 スタンドの席で食べたおばちゃんの握りたては、ほおばると米粒同士が柔らかにほぐれ、具の鮭フレークがこぼれる。ご飯を粗末にしないよう注意しながら、これを一気に食べ切った。

 ぬくい握り飯を食べたのは、久しぶりだ。

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豊橋は、路面電車のある街だ(2017.10.7)

南門(2023.1.9) 

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(2017.10.7)

(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

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(2017.10.7)

(2023.1.9) 

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正門入って奥には、レトロ調のホーロー広告。競輪場の古き日の空気はテーマパーク的演出でないことに面白さがあるので、この小道具はいささか軽薄さを感じないでもない(2017.10.7)

(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

場内の導線は屋根がかかっている。東海地方の公営競技場ではよくある形態(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

f:id:glay222:20171007104057j:plain特観席より(2017.10.7)

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はずれ車券抽選機は、中部地区の他場でも見かけた。地域文化なのかもしれない(2017.10.7)

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特観席には、ほかにもユーフォ―キャッチャーがあったりした(2017.10.7)

南側飲食店長屋。北側でも一軒営業(2023.1.9) 

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(2017.10.7)

 

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どういうわけか、場内の飲食店では焼き鳥が推されていた。公営競技焼き鳥会の横綱・盛岡水沢競馬のジャンボ焼き鳥には及ばないが、外れのない美味しさ(2017.10.7)

f:id:glay222:20171007122945j:plainよくいえばやさしい味のラーメン。かまぼこなどがうどんと共用なところがまた曖昧さがありよい(2017.10.7)

北側売店のてんぷらうどん(2023.1.9) 

(2023.1.9) 

豊橋駅に展示されていた、金子貴志の実寸大ふともも模型……(2023.1.9) 

【十一場目】宇都宮競輪場

 あれはいつのミッドナイトだったか、まだ小倉、前橋が始めてすぐのころだったように思う。解説役の競輪専門紙記者が、出走表のメンバーを眺め、ある選手について触れた。

「●●選手も、ようやく練習をしだしたようなんですが。なかなか成績がついてこないなぁ」

 つまり、それまではろくすっぽ練習をしていなかったと言っている。この選手は、40歳を前にしてA級3班、昨期の競走得点は60点台もかなり低いところで終わり、今期も6着7着が続き。いまさら多少のもがきを入れたところで、選手生活の終わりは近い。

 「練習が仕事、競技は集金」なる金言は、かの滝澤正光(引退、千葉43期)のものとされている。どんな世界であれ、基礎練習は単純で単調だ。それに加えて、競輪選手は、御上から降ってくる斡旋に身を任せるまま、全国数十場の競輪場を3泊4日で巡る生活を余儀なくされる。逆にいえば、現場にたどり着きさえすれば、大きな借金でもない限り、すぐさま生活に困ることはない。

 みな、なにも最初から怠けようというわけではないだろう。だが、さあ今日の練習はどうしようか、まあ、昨日と同じようにやればよいや。最後の10分間、もうキツいから軽めで終わらせよう。それでも、たまたまうまい結果が出る日もあって、今日はなんか良い感じだった、まだ俺もやれるもんじゃないか。なら、ちょっと息抜きをしたってさ。どうせ、すぐにどうなるわけでもない。今日のぬるさの積み重ねは明瞭たる逃避へと落ち着き、さすがにマズい、少し頑張ろうとして、だけれどそれもすぐ終わる。

 そんな弱さは、程度と状況の差こそあれ、誰しも身に覚えがある。それに、人は老いる。中年に差し掛かれば、三年前にはできたことが、軋み、ずれ、気づけばキマらない。プロスポーツ選手ともなれば、そもそもの肉体の消耗が並大抵のものでないはずだ。

 だから私は、自分勝手な共感によって、冒頭のその選手、チャレンジの負け戦で単騎千切れていった、緑のユニフォームを忘れられない。

 

 寝坊してしまった。この日の目当ては第1レースである。春日部駅日光線に乗り換え、栗橋駅からJRへ。JR宇都宮駅のテラスに出て、地上のバスターミナル、競輪場行きバスの停留所へと走る。なんとか送迎バスに滑り込み、自宅を出てから2時間半後、締め切り10分前に競輪場に着いた。ここは、市内有数の公園でもある八幡山のなかにあり、その上り坂には屋根付きのエスカレーターが設置されている。こいつを駆け上がり、スタンド内へと向かう。脚見せは終わってしまったが、車券の方は間に合った。

 RAIZANバンクを名乗り、神山雄一郎(S級1班、栃木61期)を育てたこの500バンクは、奥行きがそれほどなく、どちらかといえばコンパクトな造りをしている。前述したように山肌を造成して建てられているが、伊東などと異なり場内に入ってしまえばファンエリアの高低差はそれほどない。スタンドも新しいので、わりあい快適に観戦することができる。わたしは入ったことがないが、公式サイトを見る限り、バンクを見下ろすスタンド上階のレストランなども自慢であるようだ。

 本日はガールズ入りのヒラ開催2日目、チャレンジの負け戦一つ目に三ツ井勉(A級3班、神奈川45期)が出走する。今年で64歳、現在の競輪界で堂々の現役最年長選手である。検索をかければ、初出走が1980年4月の西宮――プロ野球阪急が本拠地としていた西宮スタジアムで、ほんの20年前まで競輪をやっていたのだ――だとか、特別競輪出場こそないが往時はS級でもそこそこやっていたらしい、といったことはわかるのだが、さすがに私は氏の現役時代の大半を知らない。だが、下手すれば三ツ井から二回りは下の選手がやる気なく千切れていくのが珍しくないところ、ガッツのあるその位置取りに幾度唸らされたか。出走表で、その名を見かけるとつい気になってしまう、という客は多かったのではないか。

 それでも、さすがにここのところ競走得点が苦しい。このままでは、いよいよ。

 この日の三ツ井は、薮下直輝(A級3班、北海道95期)、佐藤仁(A級3班、秋田57期)――こちらも、御年58歳也――の北日本勢の後ろ三番手を回る。別線の自力はそれほど怖くないが、薮下も昨日を見る限り好調とはとても。500バンクの直線一気で、三ツ井の突き抜けまであるのでは……との予想で、私は三ツ井がアタマの3連単全通りを買った。ヒラ開催はただでさえ売り上げが少ないから、穴目を狙うときは3連単でなければ配当がハネきらない。どうせ人気に逆らうならば、どんな大穴が飛び込んできても拾おうじゃないか、の総流しだ。ライン通りの安いところを厚めに買い足すと、掛け金はけっこうな額になった。

 締め切りの放送が流れ、三ツ井たちがバンク内に出てくる。還暦をとうに超えているはずなのに、その顔つきはまったく老けた様子がない。たとえチャレンジの負け戦、売上せいぜい300万円1着賞金7万円だろうと関係ない、勝負へ望む姿勢の険しさが頼もしい。

 周回が進み、ジャンで薮下が早めに前を抑える。Sを取っていた 伊加哲也(A級3班、岡山70期)はいったん三ツ井の後ろ、四番手に下げたが、その外には 眞鍋伸也(A級3班、香川85期)のラインが並走。伊加からすれば下げて自分で叩く気はなく、だがこのまま四番手競りも面白くない。仮に眞鍋が先行ならば、六番手からの捲りになる。どうせやりあうとすると、より1着が近いところでやる。そう考えたか、薮下が外に振りつつ緩く流す3・4コーナー、伊賀は内からもぐりこみ、番手の佐藤にイン競りの形で最終ホームを通過した。

 薮下は何度か後ろを振り返り、2コーナーからペースアップ。佐藤が伊加を思い切り内に押し込んだが、伊加は失速せず返す刀で反撃を食らう。佐藤は後退、伊加が薮下の番手となったが、伊加の後ろ松中宏樹(A級3班、熊本84期)はへろへろ。三ツ井が三番手にもぐりこめばまだ……ああ、降りる佐藤に絡まった!踏み始めていた三ツ井は下げ、態勢は前から薮下→伊賀→佐藤→三ツ井の順、そこに真鍋が最終バック前から捲って進出し、車間があいた三番手へ入る。

 三ツ井は諦めず、3コーナーから外に出すと、首を左右に振るいつものがむしゃらなポーズで追い込み。薮下は直線でもう一杯、真鍋も捲り切れずここまで。伊加がハコから悠々抜けだしたが、三ツ井もぐいぐい伸びているぞ!だが、伊加は捕らえられず、3/4車身届かずの2着。3着には、道中踏み遅れた分最後余力があった梅澤謙芝(A級3班、三重57期)が突っ込んだ。全体にバテた展開の中だから上りはそれほどでもないが、道中展開が向かなかったにしては十分な見せ場だ。観客席から、「勉さん、ありがとう〜」の声。わたしも、同じように楽しめたお礼を。

 2レースを見して、チャレンジ準決勝となる第3レース。前日すんなり逃げ切った競走得点上位荒井春樹(A級3班、長野99期)からが人気も、時計は大したものではない。その競走に同乗しなすすべなかった菅原洋輔(A級3班、岩手98期)から買う気もなく、それなら若干20歳の新人・北野佑汰(A級3班、香川115期)を使う工正信(A級3班、広島55期)の目が十分ではないか。それでこの人気のなさはないだろう、と工を1着固定3連単の総流し。なにやら、ずいぶんと破滅的な買い方をするようになってきたな。

 広島の工といえば、かの名著『ギャンブル・レーサー』の作中、「最近、工もすっかり弱くなっちまったなぁ」「落車しすぎたんだから仕方がねぇべ」との客の会話が印象に残っている。名門・広島商業高校野球部出身、1982年の夏の甲子園決勝に出場し、1985年に競輪選手としてデビュー。1987年、同期の鈴木誠(引退、千葉55期)が優勝した競輪祭日本新人王戦決勝で5着。1989年には、競輪界の最高峰、花月園ダービー決勝で2着している。スター候補の一角を占めていたには違いないが、今も昔も位置取りに厳しい選手ほど落車するのが競輪だ。タイトル戦線に加われた期間は短く、記念競輪での優勝も1989年の防府記念1回のみである。今年55歳、チャレンジ生活も1年になるが、まだまだ2班への復帰を狙える力はある。

 競走が始まり、ジャンで北野が誘導員をゆったりと切る。中段の菅原、その後ろの荒井ラインはお互い牽制しつつ、荒井がインから抜いて工の後ろ三番手へ。下げ切らず外並走の形になった菅原は、このまま北野に突っ張られるのは嫌だったか。思い切って、4コーナーから先行を仕掛けた。先頭の北野も合わせて踏み始めるが、ひとまず三番手に収まる形。荒井は、自力の捲りを信じての最終ホーム五番手である。

 一本棒で最終バック手前、北野が捲りを打ったが進まない。菅原の後ろ、自身も自力自在型の佐川拓也(A級3班、福島99期)がブロックするが、相手の北野は大した勢いでもないのに、外に持ち上げ過ぎている。後ろの工は、このぽっかり空いた前の空間、菅原の番手を俊敏に取り切る。そのまま一休みという手もあったろうが、ここはすぐさま車を外に出し、菅原を捲りにかかった。まだ浮いていた佐川は、この工の判断で止めを刺され後退。僅かなチャンスを見逃さない素晴らしい捌き、怪我に泣かされ、結果として下り坂の方が多かった長い選手生活の中でも、工正信は一流の片鱗を手放してはいない。

 この間、後ろの方では、ラインの先頭荒井がまったく動けないのに見切りをつけた土屋宏(A級3班、群馬83期)が、自らインから発進する。三番手の落合豊(A級3班、茨城69期)とともに、工の後ろにうまく乗った。3コーナーで工は菅原を抜き先頭、荒井から買っていただろう多くの客が「あー、沈んじまった」と嘆く中、私は叫ぶ。「たくみぃぃ、いいぞ、そのままだ!」

 だが、工は直線粘りを欠き、土屋が後ろから抜け出していく。「嗚呼、ダメか」と呟き、落合にも交わされたところがゴール線。ヨーロッパに人気薄の工、車番4→6→2で決まった三連単の配当金は、30,780円。工がアタマの2→4→6なら192,390円、2→6→4ならなんと320,650円だったのだが……だが、あの工の捌きには、久々に夢を見せてもらった。

 レース後、幾人かが工に声援を送っていたが、レーサー上の工本人はクビを下げ、不満げな様子に見える。人気薄の中で会心の展開だったからこそ、1年前ならあのまま1着だった、ここが500バンクでなければ、など後悔の方が大きいのかもしれない。

 いや、本人に聞いたわけでもなく、そもそも表情すらろくすっぽ読み取れない距離だ。これは私自身が、工や三ツ井へ憧れが混じった期待ってやつを、投影しているだけなのだろうな。

 

 さて、感傷はここまで。この2レースで穴狙いの馬鹿張りをやりすぎた。財布の中身は随分と寂しくなっている。ここまで来たら、ほかの年寄りに頑張ってもらって取り返そう。5レースには地元の野崎修一56歳(A級3班、栃木57期)、1・2班戦だと 杉浦康一54歳(A級1班、北海道58期)に伊藤一貴(A級1班、栃木72期)が47歳、お、場外の防府記念、次のレースは中澤央治(S級2班、大阪59期)がいるな…………

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競輪場へはだいぶ階段があるが、右手のエスカレーターを使えば安心(2019.11.4)。

従来は場内撮影禁止だったが、令和5年度から解禁(2023.5.21)

(2023.5.21)

(2023.5.21)

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まあ、食事ならほかの客の写りこみもないし……場内スタンド内食堂で食べた目玉チャーシュー丼350円。ラーメンのチャーシューと丼物用の玉子でサービス商品1品、という感じか。(2019.11.4)

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煮込み定食570円。煮込みはあっさりオイリー系。ただし、ナイター開催時を除き場内でアルコールは提供していない(2020.8.1)

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(2017.4.8)

(2023.5.21)

グルメグランプリ優勝のとりそばは、たぬきに鶏もも肉が入る(2023.5.21)

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個人的に、宇都宮競輪場の名物にしたいのがこれ。2017年に入れ替わった自動給茶機だが、とても美味しい。全国の公営競技場はこれに統一すべき(2017.4.8)

令和4年度から、松坂競輪場と同様に送迎専用バスを廃止し、路線バスへの無料券配布を開始。本数が大幅に増えるので、これはありがたい。(2022.7.18)

(2022.7.18)

(2022.7.18)

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JR宇都宮駅前のビル(2019.4.20)

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宇都宮市内を流れる田川を渡る橋の脇に、妙にレトロな公衆トイレがある(2019.4.20)

JR宇都宮駅のバス案内(2023.6.17)

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市内中心部の繁華街「オリオン通り」に近く、東武百貨店もある東武宇都宮駅だが、休日でもなんとなく物寂しい。オリオン通りもずいぶんと寂れてしまった(2019.4.20)

【十場目】小松島競輪場

 夜行で動くことが多いから、旅先では銭湯に行く。日本中を巡っているうち、例えば、名古屋駅西口の炭の湯、京都五条楽園の梅湯などは何度も通ったように思う。神戸三ノ宮の二宮温泉もそのひとつで、こちらは定休日なしの14時から翌朝10時までの終夜営業という。土地柄から、遊び疲れた客や仕事のハネた玄人衆が、深夜早朝でも客として見込めるのだろう。そう考えると、看板に掲げられた「湯あそびひろば」の文字が、大神戸の夜を背負っているようで頼もしい。この店自身、決して広くない店内の一角にカウンター形式の軽食コーナーが設けられ、銭湯定番の瓶牛乳だけでなく、軽いつまみやアルコールも提供している。

 時間は17時を回ったころ、カランは近所の住民だろう壮年以上の客でそこそこ埋まっていた。私は熱い湯が苦手なので、一通り身体を洗ってから、一番ぬるい位置にある湯舟に沈む。それでも、せいぜい5分も入ればよい。

「兄ちゃん、ここの銭湯は初めてかい」

隣で湯につかっていた、白髪頭の男性が声をかけてきた。実際は四度目だが、相手はおそらく常連客であり、私が見かけない人間であることは自明だろう。下手に正直に話すよりも、ええ初めてです、としておいた方が無難か。

「そうかい、やっぱりたまにはこういうところに来なきゃだめだよ。ふだん会わないような人とのふれあいってのがね、あるからねこういうところは」

「はぁ、裸のつきあいという言葉もありますしね」

「だろう、ところで兄ちゃん、仕事はなにしてんだ。土日は休みなんか?」

 初対面でも、遠慮や気遣いなしに質問を投げる中高年は多い。私は、それに備え嘘の職業を決めている。それを少し恥ずかしそうに、しかし淀みなく答えると、今度は男性が関西資本の大電機メーカーの名をあげ、自分はそこで定年まで仕事をしていたのだ、と誇らしそうに声がうわずる。

「とにかくね、昔はみんな貧乏だったが、一生懸命に働いていたもんだ。じゃなきゃ、戦争のあとから日本はここまで立派にならなかった。明治維新だってそうだよ。志ってもんがある。君は若いから歴史なんて知らないかもしれないけど、日本人は韓国人や中国人とは違って、昔っから立派にやってきたんだ」

なにやら、話が危ない方向に。が、男性は止まらなくなったようで、政治や経済と中国人がいかに嘘つきで韓国人がどれだけノロマかについて、乏しい言葉を繰り返しながらたっぷりと語ってくれた。

「ともかくね、若い人は必死に働いて、いろいろなことを考えなくちゃならない。ふだんは、こんな話しないだろう。迷惑だったかもしれないが、少し参考にしてくれな」

男は最後にそういうと、湯舟を出て奥のサウナへと向かっていった。私もようやく立ち上がったが、くらりと転びそうになる。めったにないくらいノボせたものだ。

 銭湯を出て、近くのコインランドリーで涼みがてら洗濯をした。「盗難注意」の張り紙の下、湿気と手垢でボロボロになった、半年以上前の少年ジャンプをめくって時間を潰す。待ち合わせの時間には、まだだいぶある。

 

 20時過ぎ、仕事終わりの知人Iと合流。飲食店が多く入る雑居ビルの中ほどの階層、薄暗い流行りのクラフトビール屋でまずは一杯。Iは、大学院時代の後輩だ。話の内容は、当然共通の知人の近況へと向かう。

「そういや、数か月前にAと飲んだんですよ。すごく久々に会いました」

Aは、私と同じゼミに所属していた後輩で、Iとは同期だった。彼は学部卒業後、関西圏のとある大学の教授を頼って大学院へと進学していた。

「A、そういやまったく名前を聞かないな。学会でも見かけなかったし。今、留学でもしてんのかい」

「それが、大学院は辞めて、そのあと就職した会社も退職して。今は、なんでもフィリピンで仕事をしてるらしくて」

「フィリピンって、そりゃどういう商売なんだ」

「そこは詳しくいわなかったんで、ヤバいことやってんじゃないですか。昔からちょっと闇があるやつでしたから。それで、説教されちゃったんですよ」

「説教って、なんてだよ」

「『今のお前は、革命の炎が消えて社会に迎合するしか能がない。それが堕落だとなぜわからないのか』ですって」

 Aは、優秀だった。卒論なども実に丁寧な仕事をしていたが、ときに奨学金関係の話を聞くに、彼もカネには苦労していた節があった。

「……まあ、不動産屋なんて反骨的精神と切った張ったがなきゃやってられんだろ。そういや、シンガポールの事業に飛ぶ話もあったべ」

学生時代に中世北欧史を専攻していたIの仕事は、マンション開発のデヴェロッパー。お互い、学生時代の研究とは無縁の稼業についている。

「いやあ、海外はいやですよ。でも、日本じゃこの仕事将来ないっすからね。どうしましょう、帰る家もなくなりましたし」

 Iは、北海道の旧炭鉱町の出である。石炭産業が滅び、衰退すること幾十年か。その街を、Iの両親は定年退職を機に捨てた。自宅を売り、退職金とあわせて札幌郊外に老後の住まいを購入したのである。そこまではよいとして、これは長男が大学進学で東京に出ている間に起きたことであり、しかもタイミングよく長女夫婦に子供が生まれた。二世帯住宅として拵えらえた新居で、Iの部屋は旧宅から持ち込まれた物品の物置となっている。結果、昨年の盆休みなど、Iは「帰省」と称して東京にいた。

「院生時代、限界を迎えてふっと消えてしまった人は何人もいたし。みんな、どうしてんのかね。なんとなく、あのころの人たちは、幸せであるってイメージが湧かないんだ」

 グラスで何杯も飲み干したベルギービールは、華やかな柑橘香がその濃さを麻痺させる。

「ははは、でも先輩は今、幸せそうじゃないですか」

「そうかね」

「そうですよ」

 話題を変え、河岸を変えること幾度か、11時過ぎにIと別れる。私は港行きの最終バスに乗り、フェリーの雑魚寝二等船室へ。土曜の神戸港発高松行きのジャンボフェリーは、家族連れや若者のグループで混雑している。酔っぱらった私は、出航する前には眠ったのだろう。

 

 早朝、高松港に着く。そのまま朝一の特急で徳島へ。7時台に乗り換えた牟岐線は、部活動が盛んなのだろうか。日曜日だというに、車内は高校生で埋まっている。徳島駅を出発してから30分ほどで、南小松島駅に到着した。ここは人口3万人の小松島市の中心駅だが、JR四国資本のパン屋ウィリー・ウィンキーーー四国にいったらここは食べてみなさいと勧めたいーーが入っている以外は、おおよそ房総の小駅のような造りである。

 小松島競輪場へは、駅から海側へ15分ほど歩けばよい。小松島市は、かつて和歌山方面からのフェリー等も就航し、本四物流の結節点として大企業の工場もいくつか誘致に成功していた。だが、明石海峡大橋の開業に加え、今ではフェリーも徳島港に回るようになった。雇用を生み出してきた工場群も、平成不況の中で相次ぎ撤退縮小を余儀なくされている。道すがら見えてきた小松島市役所庁舎は1960年代後半の建設だが、白い鉄筋コンクリートも潮風にやられ、いかにもといった感じにくすんでいた。市役所から少し進んだところにある、ところどころ塗りの禿げた黄色いゲートをくぐり、脇道に入ると、もうすぐ競輪場である。これは、川崎を超え、施行元自治体の本庁舎からもっとも近い競輪場ではないだろうか。

 この日はモーニング開催の初日、1レースの発走は9時である。競艇の一部場が始めたこの開催形式は近年競輪でも取り入れられたが、売上面で成功しているとは言い難い。そして、モーニング開催は明らかに本場の客数が減少する。ただでさえ開催の少ない競輪で、貴重な生観戦の機会をモーニングやミッドナイトに充ててしまうというのは残念に思う。だが、競輪界にとっては、大赤字のヒラ開催――賞金やら手当やらから大雑把に逆算すると、どう考えても1日1億円は売らないとダメなところ、5,000万円もいかない場がほとんどだ――をどう減らすかが大問題なのだから仕方がない。

 もとより街自体に元気がない小松島。ほぼ2か月ぶりの本場開催というに、朝イチから打ってやろうという人は少ない。1レース発走時点で、見かけた人影は10人ばかり。ろくすっぽ人のいない、静まり返ったスタンド内というのも不気味である。スタンドの二階自由席にあがると、いるのは警備員氏がおひとりだけ。向こうから声をかけてくる。

「おはようございます!いや、どこでも好きな場所で観ていってください!」

とても感じのよい警備員氏だが、そこまで感激されるのも、朝イチはよほど人が来ないのだろうか。ありがとうございます、ご苦労様ですと返して、コース側のイス席に座る。なるほど、考えてみれば、今この場内は客よりも警備員の方が多いだろう。

 開催初日であるから、車券は抑えめに。レースが進むにつれて、少しずつ人も増えてきた。そういえば、小松島は実況アナウンサーが女性である。落ち着いた調子で、とても上手い。

 朝からなにも食べていないので、なにか腹に入れようと食堂を探す。1・2コーナー側のスタンド奥の狭いところに、3店舗ほどの食堂が並んでいる。そのうち、すでに暖簾が掛かっており、中に人が見えた店に入った。

 テレビから中継が流れている店内は、4人掛けテーブル席に男性が一人。店主なのだろうと思うと

「ああ、ここんマスターは買い物出かけちゃったよ。そのうち帰ってくるから待っとりな」

との由。仕方がないので、こちらも座って待つことにする。私は専門紙を開き、先方も缶酎ハイなど舐めながら出走表を眺める。別に会話が必要な空気ではない。すると、また一人客が入ってきた。先客とは顔なじみらしく、

「いや、今日はどうしたんじゃか。サツが何人も中におる」

じつは、私も警備員でない本職の制服警官の存在は気になっていた。なので、偶然耳に入ってきてしまった、無線の内容くらいは提供する。

「なんか、駐車場がどうのって無線で話していましたよ」

「なんだと、そりゃちょっと聞いてくるわ」

先客氏はそうやって飛び出すと、5分ほどで戻ってきた。

「聞いてきたぞ。なんでもな、車から降りたところ、ちょっと目を離した隙にカバンを置き引きされたらしい」

「そりゃ災難じゃ」

「なんでも、財布に5万円入ってたらしい」

「競輪場に5万円も持ってきて、どうすんだか」

「ちがいな」

 故・山口瞳先生なら、「小バクチの匂いがプンプンする」とでも表現するところだろうか。

 けっきょく、店主は戻ってこなかった。仕方がないので店を出る。こうなると、また同じ店に戻るのも気が向かない。そこで、入り口側の食堂の並びで、気になっていた店に行くことにした。

 その店は、ガラス引き戸に、本田晴美やら小倉竜二やらの名前が入ったたすきがかかっている。一見してちょっと異様である。さすがに朝イチは開いていなかったが、戻ってみると中に電気がついているようだ。店内に入ると、女性が一人に男性が三人。女性が、おそらくここのママさんだろう。狭い店内の壁という壁には、選手タオルやら、写真やら、新聞の切り抜きやら、ピストのフレーム(!)やら、サインやら。思わず

「あの、ここ食堂でいいんですよね?」

と聞いてしまう。

「ええ、いらっしゃい。どうぞ。メニューはそこね」

と、ママさんが壁にかかった小さなボードを指さし応じてくれる。基本的に、食事物はうどんだけらしい。男性陣の陣取るテーブルの上には、酒とこまごまとしたつまみ。競輪スナック、という業態があるとすればここだろうな、と思う。酒はまだ欲しくなかったので、きつねうどんを注文した。ママさんは店の奥の調理場に入ると、うどん玉をゆでてくれる。

「兄ちゃん、どこから来たの?」

男性の一人が話しかけてくる。

「千葉からです」

「千葉ってそりゃあ!仕事はなにして?」

「普通の会社員ですよ」

「またまた、普通の人は千葉からこんなとここねえって。記者さんかなんかかい」

「はい、おまちどう」

ママさんが、うどんを載せたお盆をもって戻ってきた。一本すすってみると、香川が近いはずなのに、麺は大阪風だった。出汁は甘い。

「ここの店はな、ママさんのお母さんの代から顔が広いんだ。この間の記念のときも、ほれ、S級の●●選手が寄ったんじゃ」

「いや、しかしこの壁はすごいですね。ずいぶんと古いのから」

「母のころからのもだいぶあるからね。滝沢さんのも」

「ママさんはな、千葉の鈴木誠の大ファンなんだ」

「ああ、先日引退してしまいましたね。この間、松戸かどっかでイベント出ているのを見ました」

「そうなのよ、ほら、あれがマコっちゃんがダービー取ったときの……」

こちらは昔の話になかなかついていけないが、いろいろと興味深いネタが多い。小松島のすみっこ、食堂の一角には、業界一の女傑がいる。

「しかし、それだけいろんな人とつながりがあると、あちこち競輪場もいかれているんですか」

「いや、ここ以外にもお店をやっていたりするからね。もうずっと小松島だけ、ああ、あと千葉はいったわ。いってみたいのは、小倉。ドームでナイター競輪なんでしょ」

この方は、ここ小松島からずっと、内側に近いところで競輪とともに生活してきた。

「じつは、全国の競輪場を巡っているところなんです」

恥ずかしいこの告白に、ママさんは笑いながら

「そりゃ、お若いのにずいぶん妙なことをやっているのねぇ」

 次のレースの発走が近づいてきた。ごちそうさまと礼をいって、外へ出ようとする。

「ああ、待って。いるかはわからないんだけど」

そういうと、ママさんは奥から、競輪カレンダーやタオルを一抱え持ってきてくれた。

 

 この小松島競輪場が、私が訪れた42場目の競輪場となる。地震で閉場中の熊本を除き、これをもって、4年ばかりで現存するすべてを回った。なるほど、我がことながらばかばかしくも、おめでたい道楽には違いない。

 なにより、公営競技を生活にするってことは、じつにおもしろいものである。

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三ノ宮・二宮温泉。関西圏では、地下水を用いた銭湯が「温泉」を名乗っていることも多い気がする(2019.2.23)

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競輪場への入り口。なお、小松島は場内写真撮影許可制も、規約でブログ等へのアップは禁止となっているため掲載せず(2019.2.24)。

 

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小松島といえば金長狸。戦後の建立ながら、神社もある(2019.8.24)

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なんとなく、市内の港側を望む(2019.8.24)

取手競輪場 サテライト水戸カップ FⅠ

●初日
1R A級予選 14.5-12.1-12.0-12.3(26.6-24.3=50.9) 先 マ マ 6 6 1(12.3)
2R A級予選 14.5-12.5-12.7-12.2(27.0-24.9=51.9) 捲 箱 逃 5 3 3(12.5)
3R A級予選 14.5-13.4-12.1-12.5(27.9-24.6=52.5) 捲 捲 箱 6 6 6(12.9)
4R A級予選 14.0-14.1-12.7-12.8(28.1-25.5=53.6) 捲 箱 追 4 4 4(12.9)
5R A級予選 15.0-11.6-11.4-12.7(26.6-24.1=50.7) 逃 捲 乗 8 1 1(12.7)
6R A級初特 15.8-12.2-11.8-12.0(28.0-23.8=51.8) 先 マ 追 3 9 1(12.0)
7R S級予選 15.4-12.2-11.3-11.6(27.6-22.9=50.5) 捲 乗 追 1 8 8(12.4)
8R S級予選 13.3-12.2-11.9-11.4(25.5-23.3=48.8) 捲 捲 追 9 9 1(11.4)
9R S級予選 15.3-12.0-11.6-11.7(27.3-23.3=50.6) 捲 先 マ 5 2 1(12.0)
10R S級予選 15.0-11.9-11.5-12.1(26.9-22.6=50.6) 捲 追 追 8 8 1(12.1)
11R S級初特 15.0-12.2-11.7-11.9(27.2-23.6=50.8) 捲 追 追 7 7 7(12.5)

青森競輪場 トラスト配送カップ FⅡ

●初日
1R Aチ予選 16.1-16.1-13.0-12.4(32.2-25.4=57.6) 差 差 先 3 3 3(12.5)
2R Aチ予選 16.9-14.9-13.7-12.0(31.8-25.7=57.5) 捲 逃 追 2 2 2(12.5)
3R Aチ予選 17.6-14.1-12.1-12.5(31.7-24.6=56.3) 差 先 流 6 2 2(12.5)
4R Aチ予選 16.1-14.8-12.9-12.1(30.9-25.0=55.9) 捲 逃 追 2 2 2(13.0)
5R Aチ予選 16.4-15.6-11.5-12.3(32.0-23.8=55.8) 逃 マ 先 3 1 1(12.3)
8R A級特予 15.7-13.2-14.1-13.0(28.9-27.1=56.0) 追 箱 追 5 4 4(13.1)
9R A級特予 14.7-13.3-12.2-12.6(28.0-24.8=52.8) 先 マ マ 9 9 9(13.9)
10R A級特予 14.3-14.4-12.3-12.0(27.7-24.3=52.0) 先 乗 追 9 9 1(12.0)
11R A級特予 14.5-13.5-12.4-12.6(28.0-25.0=53.0) 差 差 差 4 4 4(12.8)
12R A級初特 14.6-14.1-11.7-12.2(28.7-23.9=52.6) 先 先 追 6 6 1(12.2)

●二日目
1R Aチ一般 18.3-15.2-12.6-12.9(33.5-25.5=59.0) 逃 抜 箱 / 1 1(12.9)
2R Aチ一般 18.0-16.7-12.4-12.1(34.7-24.5=59.2) 捲 乗 流 6 6 6(12.6)
3R Aチ準決 17.8-15.0-11.9-12.6(32.8-24.5=57.3) 差 先 流 4 2 2(12.7)
4R Aチ準決 16.2-16.5-13.2-12.1(32.7-25.3=58.0) 捲 逃 流 2 2 2(12.2)
5R Aチ準決 14.4-14.5-13.3-12.3(28.9-25.6=54.5) 差 捲 追 6 6 2(12.3)
8R A級特般 16.0-14.0-12.4-12.9(30.0-25.3=55.3) 捲 追 乗 9 4 4(13.0)
9R A級特般 16.7-15.0-13.1-12.3(31.7-25.4=57.1) 追 追 追 9 9 9(13.3)
10R A級準決 15.7-13.2-12.1-12.1(28.9-24.2=53.1) 捲 乗 乗 9 9 9(12.7)
11R A級準決 14.9-11.8-12.1-12.4(26.7-24.5=51.2) 差 逃 マリ 3 2 2(12.5)
12R A級準決 13.9-12.5-12.5-12.2(26.4-24.7=51.1) 捲 乗 流 9 9 9(13.4)

宇都宮競輪場 栃木放送杯 FⅡ

●初日
1R Aチ予選 21.3-15.8-15.4(21.3-31.2=52.5) 逃 追 失 1 1 1(15.4)
2R Aチ予選 19.9-15.6-15.7(19.9-31.3=51.2) 差 差 追 3 5 5(15.9)
3R Aチ予選 20.9-15.7-15.5(20.9-31.2=52.1) 先 マ マ 5 1 1(15.5)
4R Aチ予選 19.4-15.6-15.0(19.4-30.6=50.0) 逃 抜 箱 7 1 1(15.0)
5R Aチ予選 22.8-16.8-14.2(22.8-31.0=53.8) 差 捲 乗 2 5 5(15.0)
8R A級特予 19.6-16.6-15.3(19.6-31.9=51.5) 逃 マ マ 8 1 1(15.3)
9R A級特予 18.9-14.2-15.1(18.9-29.3=48.2) 差 追 先 8 6 3(15.2)
10R A級特予 18.9-15.7-15.4(18.9-31.2=50.0) 追 追 追 3 7 7(15.6)
11R A級特予 20.6-16.8-14.3(20.6-31.1=51.7) 逃 捲 追 1 - 1(14.3)
12R A級初特 19.5-14.2-14.8(19.5-29.0=48.5) 捲 乗 箱 7 7 7(15.1)

【九場目】武雄競輪場

「この『自力で頑張る』ってコメント、これだけ?ウケるわ、どういう意味だよ」

 競輪場は初めての、職場の先輩がわたしの専門紙をのぞき込んで笑う。さて、競輪を楽しんでもらえるかどうかは、ここの導入が肝心だ。

「競輪はやったことがなくても、『ライン』があるというくらいは聞いたことがあるでしょう」

「ああ、レース中、友人関係で助けあったりするんだろ」

「そういうこともないとはいいませんが、そうでないことの方がずっと多いですね。師弟関係は一段重く扱われますが。現代競輪のラインは、地域別のチーム戦なんですよ」

「地域なぁ。そういや地元の知り合いの父親に門司競輪場で競輪選手やっていたのがいたが、じゃあそういう選手は門司や小倉同士で組んでたってことかい」

そう、この人は門司亡きあともメディアドームを擁する北九州市出身――以後、便宜上仮名を小倉氏と称する――である。だがもっぱら馬の方が専門であり、競馬専門紙の調教師や助手の充実したコメント欄に慣れていると、たしかに競輪新聞のコメントは異質だろう。

「同じ練習地ならまず間違いないです、ほら新聞のここに練習場所が書いてあるでしょう。でも、そう都合よくいっしょに乗れることは少ないので、ほかの武雄や佐世保、別府、熊本といった九州地区所属の選手で一体となって戦います。九州だけで戦力が不足していれば、隣接する中国・四国地区の選手とも話をつけて組みますね。東日本の競輪場への遠征だと、広く関西圏まで入れた『西日本ライン』なんてこともあります」

「ラインをどう組むのはわかった。だが、そもそもなんでそこまでしてラインが必要なんだよ」

そう、それが大事なところだ。ノーガキを続けようとすると、後ろから本日もう一人の同行者が戻ってきた。車券を買いにいったはずだが、それとは別に白い発泡スチロールの皿に、茶色い串を載せている。

「エサ、調達してきました」

ピンポン玉大のタコ入り練り物のおでんと、牛筋串である。佐賀県長崎県は畜産も水産業も豊かな県だから、こういうちょっとしたものの美味しさがありがたい。とくに練り物などは、関東で同じ値段で似たようなものを買おうと思えば、澱粉の混ぜ物ばかりの品しか出てこないだろう。そのまま、今度はこちらが説明を始める。

「ラインの話ですか、あれは空気抵抗のせいです。つまり、自分で風をかき分けて進むよりも、その後ろでついていった方がずっと楽だから。なんで、そういう選手を自力と呼んで、ケツにまさに他力の選手がつく。これがラインになります」

これを聞いた小倉氏は、憮然とした表情である。

「じゃあ、自力の選手は自分ばっかりくたびれて損じゃないか」

「そうでもないです。後ろの選手は後ろの選手で、ほかの自力選手が攻めてきたらラインを守る。そのままやられちゃ自分も終わりだから」

私もここで理屈をひとつ。

「単純な距離の話として、後ろの敵がライン分二車進まないと自分に届かないのと、自分のすぐ後ろがもう敵という状況なら、自力選手からすれば前者の方がぜったい心理的に有利です」

「ふーん、それでチーム戦なのか。ラインと聞くと、なんか八百長みたいなイメージしかなかったが」

小倉氏は、一応納得してくれたようだった。現代競輪の「ライン」は、競輪戦後60年の歴史の中で進化してきたしごく合理的なものだ。きちんと説明すれば、拒絶反応を起こす可能性はだいぶ減らすことができる。

「他人の後ろにつくマーク屋は、前の選手の動き次第なところがありますから。競走得点、あ、選手の格を表す数字ですね、これが高くても絶対視は禁物。競輪の予想は、各ラインの自力選手同士の比較から入るのが基本です」

「なるほどなるほど」

よし、だいぶ理解が進んできた。

「ただ、決勝戦のような場合は、後ろの選手を引っ張るだけ引っ張って自分の勝負は度外視、という競走を狙う選手もいます。昨年も、特別競輪、競馬でいうGⅠですね、この決勝で近畿地区の選手がこれをやりましてね。番手の選手が優勝、先行した選手は最下位でしたが、こちらの選手も胴上げされてましたよ」

親王牌の脇本と稲垣だろ、ひどかったよな。でもまあ、客もそれをわかって買っているところあるから。あそこで脇本が駆けなかったら、それはそれでレース後はドーム中から野次ですよ」

と、神奈川出身も大学が群馬だった先輩氏――以後、仮名を群馬氏と称する――が、前橋のネタに乗ってくる。こちらは学生時代に旧高崎競馬場跡地の場外馬券売り場に入り浸り、そのまま前橋で競輪も嗜むに至ったというツワモノだ。が

「…………やっぱりそんなん八百長じゃんか!そんなんでいいの?」

小倉氏は、振出しに戻ってわけがわからないという顔。しまった、これは余計な話だったな。

 

 真夏の暑い時分というに、職場の男3人ばかりで九州を旅行した。どうせなら妙な移動をしてみたいと――オタクにこういうのを一任するとろくなことにならない――、出入りは長崎空港を選択。そのまま島原半島の海岸線を走り、フェリーで熊本へ。そこから佐賀を抜けがけ武雄競輪を冷やかして、ぐるっと回って開催中の大村競艇場至近の長崎空港へ戻ってくる、という旅程である。なお、私も群馬氏もペーパーだったから、運転は最年長も九州出身で土地勘がある小倉氏にお任せ。家族には「仕事で出張だから」と騙り出てきた群馬氏は職場と同じ白のワイシャツに黒パンツという格好で、

「すいません、運転任せちゃったところ申し訳ないんですが」

と謝ってから、空港から早々にストロングゼロを「カマして」いた。お許しがでたので、私も一本、また一本と。せっかくの旅行だからね。

 初日は熊本を回り、宿は佐賀の古湯温泉の民宿へ。ぬる湯で知られるこの温泉地は、佐賀県でもだいぶ内陸に入ったところにある。谷筋の国道を進んでいると、道端にふたつみっつ固まった自動販売機の一群を見て群馬氏が話題を振る。

「そう、最近エロ自販機についての本を読んでね、いやあれは奥深い世界ですよ。北関東なんかだと、まさしくこういう山の道筋にあったりするんです」

ハンドルを握る小倉氏もこの話題については

「エロ自販機、そういや小倉競馬場の裏にあったな。滞在競馬の関係者とかが買ってんかなあれ」

とご当地ネタを提供。

「買う人がいるから補充されて商売になっているんでしょうけど、全国の隅々まで配本網があるってのはすごい話ですねぇ」

「そうなんだよ!なんでも元締めの業者がいるらしくて、インタビューが載ってたんだがこれがな」

 と、その時、カーブの先にまた野ざらし自動販売機群が見え、すれ違った。

「どうだった?」

思わず聞くと、権威となった群馬氏は至極残念そうに

「あー、あれはエロ自販機じゃなかったですね」

 

 とまあ、たいへんアタマの悪そうな会話をしつつ、翌朝には武雄競輪場までやってきた。前述のとおり小倉氏は競輪初体験なので、勢い会話はそのレクチャーということになる。だいたい、ただでさえ運転をお願いしているのだから、ここは群馬氏と二人できちんともてなさなければならない。

 2レース、逃げる久冨武(A級3班、岡山79期)が押し切るも、番手の小野祐作(A級3班、岡山72期)は脚が回らず。三番手を取りにった関博之(A級3班、長崎82期)が、直線交わして2着だった。

「最後の直線で先頭を回ってきた、自力選手のすぐ後ろの位置を『ハコ』と呼びます。自分は基本的に脚を温存できていて、かつ前の自力選手はそこまでで少なからず消耗していますから、古来より競輪でもっとも有利な位置とされてきました。そして、今のように番手で回ってきたのに、差し損ねるだけでなく後ろの選手からも交わされるのが『ハコサン』です。出渋り、外道競りと並び、競輪爺様方が忌み嫌うものですね」

「でも、今日の暑さじゃ外で観ている客はほとんどいないから、野次がなくてよかったな。ひどいところはひどいから」

そういえば、群馬氏とは松戸競輪場のヤジの煩さについて語り合ったこともあったな。

「たしかに今日外で観るのはないわ。しかし、競輪場もきれいなもんなんだね」

 そう、近年改装された武雄競輪場のスタンドは、平屋建てのコンパクトなもの。内装もシンプルだが、座席数はかなり多い。数千の客を捌くよりも、常連の数百人が空調の効いた室内から観戦がしやすいように、という設計がうかがえる。我々も、コース側前面ガラス張りの快適な机付き座席に陣取っている。一部の競馬場や競輪場に慣れていると、これが無料席というのに驚くだろう。

「表にもロゴが出てましたけど、民間投票業者のオッズパークが噛んでるんですよここ。場内整備もだいぶ意見を出したのではないかな」

「へえ、いろいろとあるもんだ」

さて、今日はヒラ開催の二日目なので、次の3レースからはチャレンジの準決勝である。メンバーを眺めると

「お、4レースに玉村元気がいますね」

「なにそいつ、強いの?」

「どちらかといえば面白枠ですね。まあ、見ればわかります」

「しかし、よく選手の名前知っているな」

「競輪選手は全国を飛び回ってますからね、関東の競輪場で何度か走ればなんとなくわかってきますよ」

 果たして4レースの発走台、ファンファーレの流れる中、自転車にまたがった玉村元気(A級3班、福井101期)はいつもどおり両手をぐっと握りしめると、そのまま左手を右に、捻じった体をぐっと戻して、右手を左上に高く掲げる。そこからまた大きく身体を動かして手は͡弧を描き、最後にまた胸前で両手を握ってから、手をハンドルの上に置いた。

「……なにあれ」

ほかの選手も多少のストレッチくらいはするけれども、明らかに一人異質な動きに小倉氏も困惑している。

「なんか、仮面ライダーの動きらしいですよ。玉村のルーチンワークです」

「あいつも、弱いなりにいろいろと考えてるんですよきっと」

と、面白がるというよりは引き気味の反応だったので、群馬氏ともども玉村を擁護する。

 ところが、ここでは玉村元気は道中後ろから追走。最終バック前で捲りに打って出ると、新人の山口龍也(A級3班、長崎111期)を交わして見事1着である。決勝戦進出がよほどうれしかったのか、チャレンジ戦というに入線後ガッツポーズまで決めていた。小倉氏は妙なギャップがツボに入ったのか

「ちょっと、玉村勝っちゃったじゃん!うわすげえな玉村」

とウケていた。よくやってくれた玉村、ありがとう。そして小倉氏が

「で、次はどういうレースになるの」

と聞く。このチャレンジの準決勝最後の5レース、ここは私と群馬氏どちらも一致した見立てだろう。

山崎賢人のアタマは間違いないです」

「ここ優勝したら2班に特昇だろ?ほかの選手だって、いつまでもチャレンジにいられちゃたまらないんよ」

「そんなに強いのかい」

ここは、競輪の格付けの原理から説明すべきだろう。

「競輪選手ってのは7月に新人がデビューするんですが、これはどんな新人もみなこの最下級のチャレンジ戦からのスタートになります。そしてスポーツ選手ですから、若い新人の中には本来即上のクラスで戦える選手が混じっていることもあるんですよ」

群馬氏も

「最近だと、107期の吉田拓矢や新山響平はデビューから1年そこそこで、特別競輪出場まで駆け上がってるな」

と補足してくれる。

「で、この山崎賢人は間違いなく1年後には一線級を戦っている器です。格が違います」

「そうか、じゃあ車券はヒモ探しってことか」

「後ろの茅野寛史が千切れるかどうか、が鍵です」

 ここまでいって、山崎がヘコんだらどうしようか。だが、さすがにここは逆らえない。車券的には、あまりに買うところがないオッズであるが。

 それぞれ車券を買って、競走が始まる。小倉氏も今回は山崎から買ったようだ。青板周回、同じく新人の今岡徹二(A級3班、広島111期)が誘導員を使って山崎をインに閉じ込める。そのまま並走していったが、ジャンで今岡が外から突っ張る構えを見せると、山崎はすんなり車を下げた。打鐘中をたっぷり流した後、今岡はホームから踏み出していく。小倉氏が呟く。

「おいおい、まずいじゃんこれこのままじゃないの」

群馬氏は

「大丈夫ですよ、まだ捲れます」

と泰然としている。まあそうだろうと私も思う。

 そして2コーナーから山崎賢人が捲りを打つ。スピードが違う、さて問題は番手の茅野だが……あー、千切れない。

「ああ、ついてっちゃった」

「よーしよーし、いけいけいいぞ」

私と群馬氏はひねくれているので筋違いから流したが、小倉氏はラインで持っているようだ。山崎は3コーナーでは先頭に出ると、そのまま後続を突き放して1着入線。捲りに乗った茅野が2着、8車身離れた3着には今岡につけていた大森績(A級3班、愛媛59期)が入った。

「これ当たったっしょ、いくらつける?」

小倉氏は的中したようだ。車券を見ると、3連単で6通り持っている。ところが、配当の方はなんと370円。これで1番人気というのは世知辛い。

「ガミですねえ」

「なんだ、安すぎでしょ。じゃあ次だ次、次はガールズ?」

 私はガールズは完全に専門外だ。群馬氏もあまり好きではないらしいが、ここは説明を任せることにする。

「ガールズは、ちょっと男の競輪とは違いましてね……」

 

 あとから考えると、ちと理屈っぽかったなと反省もしたが、ともあれ、小倉氏にはなんだかんだで、旅先で面白おかしく遊んでもらえたようである。

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ネーミングライツを取得したオッズパークのロゴが目立つスタンド外壁(2017.8.20)

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場内はイスがかなり多い(2017.8.20)

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(2017.8.20)

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お値段も安めでよかった(2017.8.20)

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1番車が玉村元気(2017.8.20)

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新しい施設の競輪場にしては、食堂が良心的。小鉢の多さがうれしい(2017.8.20)