【二十三場目】松阪競輪場
2022年の元旦は、那智勝浦で目を覚ました。
特段の理由はなかったのだが、年末の大一番、12月30日の競輪グランプリ。2021年は静岡での開催で、私も5,000人上限の事前抽選を運よく突破でき――これに落ちたか、知らなかった地元のお客さんが、場外売専用券売機に並び、朝から長蛇の列を作っていたのは申し訳なかった――、遠く栃木くんだりから遠征した。そのまま、西の方をふらふらしようと、たまたま宿が安かった京都に出て一泊、翌日31日は岸和田競輪の本場開催に行く。
だが、こちらがあまり面白い番組ではない。「そういや、紀勢本線は乗り通したことがなかったな」と、そのまま紀伊半島を奥へ奥へと突き進み、串本で半島の先端を回って、進行方向が南から北へ。新宮までいく列車だったが、とりあえずここまで、と那智勝浦駅前のビジネスホテルに宿泊した。大みそかの夜で店も閉まっているから、ローソンで酒とつまみを買い、一人紅白を見ながら寝落ち。なんともくだらない旧年の締めくくり、新年の幕開けである。
それに、車券の具合はよろしくない。なぜ、前を取った郡司(浩平、S級S班、神奈川99期)は、あそこで関東勢4番手を古性に譲り、5番手で折り合ったんだ。列車の中で戦後のコメントを探すと、郡司は「古性とやりあうのはキツいので下げた」と話しているらしい。
競輪グランプリは、1年間の総決算。そう思えば、あの極限の中で「やりあうとキツい」と、周囲に思わせるだけの走りを積み重ねてきた古性が、ここは勝つべくして勝ったのだと、納得した。
7時台の列車に乗り、那智勝浦から2駅の那智駅で下車する。ここは世界遺産・熊野那智神社へと向かう道の出発点だが、バスで向かっても時間がかかる。駅から山側すぐの、補陀洛寺だけを見ることにする。修行の究極として、生きたながらにして小舟に乗り込み、南方の浄土へと流されていく「補陀洛渡海」があった寺だ。渡海者が乗り込んだあと、船の出入り口は板を打ち付け閉鎖するので、物質的な事象としては、渡海者は海に沈んで死ぬか、餓死するかのいずれかになる。
波の具合が悪く(?)、近場の浜に流れ着いてしまった渡海者を叩き殺した伝承まであるらしいから、信仰を全うするのもすさまじいことである。
元旦早朝、私しかいない境内には、歴代二十数人の渡海者の名を彫った石碑、そして源平合戦の最中で現世を儚み、20代の若さで補陀落渡海したと伝わる平維盛の供養塔がある。近年になって絵巻物を基に復元された、補陀落舟の再現品も置いてあった。
面白いのが、この渡海は一部の例外を除き、寺の住職の年功、おおよそ60歳を過ぎると渡る仕組みになっていた。若い後進がつっかえてしまえば、「もう少し待ってくれ」とはいかない。「いやしくも数十年、補陀洛寺で修行してきた身であれば、その歳には渡海するだけの功徳があるに違いない」との周囲の眼にも負け、それでえいやと決心すれば、聖人様だと持ち上げられ、総出で送り出されていく。
人間など、自身の意思よりも病気や天災、偶然割り振られた結果で死んでいくことが大半と思えば、他と比較しても悪い死に方ではないのかもしれない。
線路をトンネルでくぐり、浜の方へと出る。初日の出はとうに高く上がり、中世から変わらぬだろう静かな水面と、湾内の小島がよく見えた。
那智駅で再び列車に乗り、9時半前には新宮へ。神社なんぞろくすっぽ行かないので「初」もなにもないけれど、せっかくなので熊野速玉神社で初詣とする。駅に戻り、ローソンのイートインで昼食を済ませて、10時52分発の多気行に乗り込む。すぐに、海沿いよりも山の中を走ることが多くなった。リアス式海岸の奥にある集落を巡るから、海岸線を大回りで線路を引くより、トンネルを掘った方が手っ取り早いのだろう。紀伊長島を過ぎると列車は本格的に海岸線を離れ、内陸を北上。終点の多気駅着は14時10分、乗り換えてすぐ、14時半過ぎに松阪駅へと到着した。
さて、競輪場へはバスに乗るのだが、松阪はユニークなシステムを採用している。民間路線バスの、松阪駅前~競輪場最寄バス停を無料で利用できるのだ。入場者数も寂しくなり、車社会の地方部では自家用車利用が基本の昨今。独自の送迎バスを仕立てるよりも本数が多くなるし、なにより安上がり。バス会社にとっても、どうせ走らせるバスなのだから、多少なりとも乗ってくれればメリットがある。類似の事例では、富山競輪場でも路面電車を無料で利用できるが、地域との協同という意味で、もっと広がってよい手法かもしれない。
競輪場までのバスは5分ほど。本日はFⅡナイター開催「大正カラーカップ」の初日である。場内で紹介ビデオが流れていたが、「大正カラー」は地元松阪の塗装業者で、その他にも飲食業等幅広く手掛けているらしい。経営しているバーについて「地元・松阪の選手も多数行きつけの!」などと謳われていたが、「飲み屋で知り合った相手が暴力団員。酒や女で手籠めにされて」式の昭和の八百長事件を思うと、そんなことまで表に出すとは、ずいぶんと時代が変わったものだ。そのあたりの空気は、日自振(現JKA)の公正部長まで昇った方が記した『サインの報酬』という名著があるので、興味がある方は古本を探してみるのをお勧めする。
最終までいるつもりだから、特別観覧席でも入ろうかと思う。ところが、新型コロナ対策で、有料のサイクルシアターは閉めていた。車券の方も、第1競走、第2競走と連続で外れ。やはり、よろしくない。静岡、岸和田と来て松阪までこれでは、財布の方もかなり苦しい。そして、松阪競輪場のヤジは岸和田よりも元気である。三重県といっても、このあたりの言葉は関西弁に近く、それで「このカスが―!」「死ねヤァァァァ!!!」と叫ばれると、けっこうな迫力がある。こっちだって大声を出したい気分だ。
しかも、第3競走前だから16時半ごろ、食堂長屋のおばちゃんが、盆におでんやおにぎりを載せて、客席まで売りさばきに来る。常連たちが次々とあれこれ買っていき、私も味ごはんのおにぎり――これは中部圏の呼び方だな――をひとついただいた。これが店じまい前の売り切りとすると、ナイター開催時間にはもう営業しないのか。後半のレースの合間で夕飯を取ろうと思っていたので、これまた誤算。実際、17時過ぎにはどの店も営業を終了していた。
第3競走、黒川将俊(A級3班、千葉92期)が叩かれて後退する姿に悲しくなり、第4競走は丸元大樹(A級3班、兵庫82期)がハコサンで外れ。第5競走はケンして、第6競走。こんな信頼できないメンバーばかりであれば、遠征東日本勢3番手から渡邊恭典(A級2班、栃木75期)の縦脚がよさげな穴。アタマまでの突き抜けだけでなく、当てたい一心でワイドを広めに散らす。ライン先頭の遠藤勝弥(A級1班、静岡109期)が出切ったまではよかったが、別線に捲られる肝心のところでイン詰まり。それでも4着には上がっていたが……
ただでさえ、S級からの降格組が混ざって買いにくい新年早々の1・2班戦、あと買うとしたら第9競走だけか。気分の上がらないことが続くし、帰りのバスも夜間は本数が少なめ。これで終わりにしよう。小松原正登(A級2班、福井117期)を使える山崎光展(A級1班、京都93期)が人気。この山崎→小松原で2倍つくようなので、財布の中身の千円札と小銭をまとめて突っ込む。仮に当たったところで、とてもプラテンしないのだけど。
案の定、直線山崎が小松原を交わすところ、インから上がってきた岩崎大和(A級1班、茨城94期)が中割り。山崎→岩崎→小松原で決定、当然至極のように外れて終了。
とりあえず、宿を取った名古屋までの電車の中、新年早々の反省会だな。元旦から、あんまりにいい加減な過ごし方だ。今度こそ、年末にはグランプリを当てられるように。これから一年間、ちゃんとしようと心に誓うが、なにせ私のことだから、明日にどうかは分かりません。
入口兼外向け場外の建物(2019.2.23)
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審判らの業務棟(2019.2.23)
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飲食長屋は酒も出し、悪くない(2022.1.1)
串カツ定食(2019.2.23)
「天輪焼き」と呼んでいた(2019.2.23)
写真写りが悪い……「ちゃんぽん」を頼むと、出てきたのが汁なしの中華あんかけ麺。ご当地ではこういうものなのだろうか(2022.1.1)
売り歩いていた「色ごはん」(2022.1.1)
バス利用券(2019.2.23)
松阪駅前バスターミナル(2019.2.23)
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